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釣り餌の"商虫"列伝
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商虫列伝(2) 養殖もの
"天然もの"が人件費で、"輸入もの"が植物防疫法でままならないとすると、残る砦は"養殖もの"である。
近年の分析器械の発達は、昆虫の栄養生理学の研究を飛躍的に進展させた。とくに人工飼料にかかわる研究の成果にはめざましいものがある。昆虫の人工飼料を開発する場合、その虫の本来の食物の成分を分析して、 必要な栄養の質と量を調べるが、たとえ栄養が十分でも、その虫が食べてくれなければなんにもならない。やっかいなことに人工飼料には栄養とは別に"虫が食べる気"を起こす物質が必要で、当然、 それらは虫の種類によって異なる。
しかし、こうして開発された人工飼料の利点は、品質の安定した斉一な虫を計画的かつ周年的に供給できることである。虫の種類によっては食草の乾燥粉末などの天然物をまったく使わず、化学物質だけで人工飼料が合成できているが、 たいていそれは高価なものになるので、実用的には天然物も加えるのが普通である。
一般に肉食性の昆虫の人工飼料の開発は難しく、研究はまだこれからの状態にあるが、食植性や雑食性の昆虫はすでに多くの種類で人工飼料の開発が進み、いまやほとんどの実験用昆虫の大量飼育はこれによって行われている。 そしてその影響は釣り餌の世界にまで浸透しつつある。
カイコガ
Bombyx mori
(写真Q-1〜3)
[釣り餌名:さなぎ、生さなぎソフト、さなぎ粉など]
糸を取った後に大量に集まるのカイコのサナギは、各種の淡水魚用のまき餌やねり餌の材料として古くから用いられてきた。そしてそれは今も、粉末にしたり、酵母などの付加価値をつけたりしたものを含め、 さまざまな商品が売られていて、価格は200g入りの袋で200円内外である(写真Q-1)。
一方、最近では「生さなぎ」というのも商品化されている(写真Q-2)。ぼくはてっきりこれを「いきサナギ」だと思っていたが、現物は、糸を取った後のなまのサナギをボイルしてビン詰にした「なまサナギ」であった。 サナギ約100匹入りで220円。虫の餌としては、珍しく海のクロダイ用に丸のまま使われる。そのほか、ウグイやコイの釣り餌としても好適で、とくに野ゴイに対しては今も特効的な餌であるという。 ただクロダイの場合は昨今オキアミが釣り餌の主流に変わり、「生さなぎ」の需要は減少しているとのことである。
Q-1 カイコの乾燥サナギの
さまざまな売品の例
Q-2 同、生サナギの売品の
ビン詰と中身のサナギ
Q-3 交尾中のカイコガの成虫
ハチミツガ
Galleria mellonella
(写真R-1〜3)
[釣り餌名:養殖ぶどう虫、バイオぶどう虫、バイオちゃんなど]
さる総合化学メーカーに勤める友人が、釣り餌のメーカーから、前述の高価な「ぶどう虫」ことブドウスカシバの幼虫の人工増殖について相談を受けた。幼虫期の長い、穿材性のガの人工飼料の開発は難しいので、 代替の虫を探し、ハチミツガ(ハチノスツヅリガ)の幼虫に白羽の矢を立てた。
ハチミツガは、幼虫がミツバチの巣に寄生して巣をボロボロに食い荒らし、食べカスや糞を糸で綴り合せるほか、毛皮や羊毛も食害する。とくに養蜂害虫として世界的に知られるが、その一方、 人工飼料で簡単に累代飼育ができることから、優れた実験用昆虫として各地の生物系の研究所で常時飼育されている虫でもある。
これを渓流魚に与えたところ好んで食べたことに加えて、幼虫を短期間で継続して累代飼育ができる点は、本家のブドウスカシバよりもむしろ優れているといえる。そこでくだんの友人はまず、 フスマや蜂蜜を主体にしたより安価な人工飼料を開発し、ついで幼虫には飼料に混ぜてサナギになるのを抑制するホルモン様物質(企業秘密)が与えられた。これは幼虫の日もちを長くするためと、 捨てた幼虫が成虫になり、養蜂家に迷惑をかけるのを防ぐためである。かくして誕生したのが「養殖ぶどう虫」である。1パック20匹プラス2匹で600円。プラス2匹はロスを見込んだもので、1匹当たり30円と、 "本家"の約100円よりもかなり安価な商品化に成功した。
ただ、その体長が20〜25mmと、ブドウスカシバの幼虫の平均33mmよりもかなり小さく、マス類など大型魚の餌さとしてはその点が欠点であった。そこで次に、大型化への改造が始められた。
カイコでは、幼虫の一定の時期に幼若ホルモン(幼虫の形を保持するホルモン)を処理することによって、幼虫やマユを大型化させることがすでに実験的に成功している。実際にはホルモンの組成や処理時期が虫によって異なるなど、 かなりやっかいな研究が必要になるが、結局はこれによってハチミツガの幼虫の大型化に成功した。体重で2倍、平均体長30mm、「ジャンボサイズ養殖ぶどう虫」の誕生である。こちらのほうは1パック16匹プラス2匹で700円、 本家「ぶどう虫」の半分以下の価格で収まった(写真R-1・2)。
R-1 「養殖ぶどう虫」(ハチミツガ幼虫)
の売品の容器の例
R-2 同、レギュラーサイズ(上)と
ジャンボサイズの幼虫
R-3 「はちっ子」と「かぶら虫」の容器
(中身は共にハチミツガの幼虫)
「養殖ぶどう虫」が開発された1980年代には「ニセの"ぶどう虫"なのにこの名で売るのはサギだ」とのクレームがついたこともあったという。しかし、釣り餌としての優秀性がユーザーによって広まり、 現在は無処理のレギュラーサイズのハチミツガを含めて数社が参入し、ほかの生き餌を押さえてほとんど"ひとり勝ち"に近い売り上げを誇っているという。
また最近はその商品名も多様になっている。たとえば最近、土浦の釣具店で「かぶら虫」、東京の池袋の釣具店で「はちっ子」と印刷されたパック入りの新顔の釣り餌を発見したが、 中身はすべてレギュラーサイズのハチミツガであった(写真R-3)。さらには、前述のように最近はペットの大型魚や小動物用の餌としてペットショップでまで売られるようになってきた。 もっともペットの餌業界はいきさつも本物の「ぶどう虫」の存在も知らないから、ずばり「ぶどう虫」の名で販売している例もある。
クリシギゾウムシ
Curculio sikkimensis
(写真S-1〜3)
[釣り餌名:栗虫]
クリの子実を食害するクリシギゾウムシの幼虫は、クリの大害虫であるとともに、釣り人からは渓流釣りの餌としてかねてから愛用されている。老熟幼虫はクリの子実から脱出し、 土中にもぐってそのまま1〜数年を経過する。日もちの点でも申し分なく、かつては釣り人たちがクリ園の土を掘って幼虫を集めていたが、戦後になって商品化された(写真S-1・2)。
写真は東京の釣具店で求めたものであるが、湿った土に幼虫約40匹を入れて500円という価格の適否はともかく、気になったのは容器のフタのシールに印刷された「バイオ・マロン <栗虫>」の文字である。 "バイオ"と銘打った以上、これは少なくとも"養殖もの"と思われる。ぼくが勤めていた果樹試験場のサイドでは、まだこの虫の人工飼料は開発されていない。しかしクリの子実の粉を使えば、それは、 そう難しくはないかもしれない。
ただ、成虫(S-3)が長い口吻で子実に穴をあけて産卵する特殊な習性は、人工飼料以前の問題として、まず採卵法の開発を難しいものにするであろう。「バイオ・マロン」が養殖だとすれば、 この点をどう解決したのか、残念ながらナゾである。もっともクリシギゾウムシの幼虫は養殖するまでもなく、クリ園で収穫したクリをくん蒸の処理をせずに放置しておけばいくらでも集められるが……。
S-1 「栗虫」(クリシギゾウムシの幼虫)
の売品の容器
S-2 中の幼虫
S-3 クリシギゾウムシの成虫
シマハナアブ
Eristalis cerealis
(写真T-1・2)
[釣り餌名:はなお虫]
シマハナアブは日本全国に分布し、成虫は農作物の授粉昆虫として重要種の一つである(T-2)。かつてある総合メーカーが、これを穀粉や酵母を主体とした発酵飼料で大量に増殖し、果樹やイチゴの花粉媒介用に売り出したことがある。 サナギ1匹が4〜5円で、授粉昆虫の欠落に悩む農家に人気を博したが、結局は飼料の悪臭問題と採算上の理由から、惜しくも生産が中止されてしまった。しかし、この増殖技術は釣り餌産業に転用され、 幼虫が「はなお虫」の名で渓流魚用の新興の餌としてデビューをかざることとなった。シマハナアブの幼虫は、俗にオナガウジと呼ばれ、15mm内外の体長に伸縮自在の長い尾(呼吸管)を持つ(写真T-1)。
人工飼育の場合、約20℃下で1か月ほどで世代を完了し、周年供給が可能だが、通常は沼や池の泥中や家畜の糞尿溜めで、腐敗した有機物を食べて育ち、どちらかといえば汚い虫というイメージが強い。 釣り餌のカタログなどでその名が散見されるものの、ぼくはまだ売品を見たことがない。東京の大手の釣具店でも最近は入荷したことがないという。飼料の悪臭問題や見た目の悪さもあり、 せっかくデビューしたものの、釣り餌としては短命のあだ花で終わる運命にあるのかもしれない。
T-1 「はなお虫」(シマハナアブの幼虫)
T-2 シマハナアブの成虫
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