商虫たちの展望釣具店として売り上げに占める商虫の比率は低い。釣り餌の商虫界の産業的規模は零細で、最高の人気を誇っていると思われる「養殖ぶどう虫」でも、全国の年間売上高は10億円の大台にはとどいていないと思う。個人経営の小さい釣具店では餌の虫を自分で集めたり、農閑期に農家が集めたものを買い取ったりしているケースも多いようであるが、大手の釣具店は商虫を専門業者から仕入れているのが一般的である。 このため、虫の収集や増殖を行っている業者と、それを求めるユーザーとの間に釣具店が入っていて、情報はその釣具店から聞き出すしかない。しかし、おおかたの店主も店員も虫の素姓についてはほとんど知らず、 仕入れ先も教えてくれない。話はかみ合わず、安い餌を一つか二つ買うだけの当方もあまりしつこく聞けない引け目がある。加えてぼくは釣りに無知である。相乗的に本小文は不備なものになったが、 現在における商虫のメニューと素姓の多彩さを記録にとどめておくことは相応の意義があると思う。 ぼくが釣り餌の商虫に興味を持つようになったのは、1980年代の後半に、前述の「養殖ぶどう虫」の話を、その開発者の友人から聞いて以来のことである。その後の調査は不熱心で、釣具店を見かけたら立ち寄る程度にすぎなかったが、 それでも集まった現代の釣り餌の商虫たちは、総計6目27種を数えた。内訳は、ガ類の9種を筆頭にハエ類の8種、甲虫類の5種、カワゲラ類の3種、トビケラ類とハチ類の各1種で、カイコのサナギとミツバチの成虫を除けばすべてが幼虫の利用である。 インターネットで釣り餌の虫を検索すると、1,000件を超える情報が掲載されているが、"商虫"に関するものは意外に少なく、この小文に追加を必要とするような情報は得られなかった。 こうしたことから、釣り餌の商虫の大多数を占める"生き餌"の場合は、魚の嗜好、収集コスト、保存性などの制約から、「さしグループ」の混入種などを除けば、今後ユーザーによる淘汰によって種類の減少こそあれ、 メニューの急速な増加は期待できないと思う。 ところが、カワゲラやトビケラの幼虫の真空パックやシロップ漬け、ミツバチの働き蜂の干物などの登場によって、"死に餌"の場合は事情が違う。もしこれらが生き餌と同等の釣果をもたらすならば、 これまで釣り人が自分で採集して使用していた多彩な水生昆虫やバッタ類など、広範な種類の昆虫類を商品化することが可能になるからである。 また、「さし」グループやハチミツガなどのように、メーカーの違いによって同じ虫を別の商品名で販売したり、違う虫を同じ商品名で販売したりするような、分類学でいう「同種異名」や「異種同名」は今後ともひんぱんに起こりうるであろう。 なお、ぼく自身は最近、釣り餌が縁で、偶然存在を知ることになった「ペットの商虫」に興味が移行しつつある。 ちなみに、釣り餌の商虫たちに劣らず、ぼくにとっては釣り人たちもまたナゾの多い存在である。一日中ウキを眺め、釣れても釣れなくても至福の表情が変わることはない。ヘラブナ釣りなどは、 まさに魚と勝負の構えで、横で見ていると鬼気迫るものがある。そうまでしてやっと釣った魚は、帰りにすべて池に戻す。とうていぼくの理解を超えた存在である。 また、家の中にハエが1匹飛んでいても追い回す人が、抵抗もなくそのウジをいそいそと買いに行く。彼らにとっては購入したウジとゴミ溜めのウジはおそらく別個の存在なのであろう。徳永(注1)は、 「さし虫の飼育業者は牛骨を飼料として繁殖させている。決してごみ溜めの魚の頭のウジや便所のウジではない」と記しているが、現代の「さし」の養殖についての実情は依然霧の中である。 さらには、われわれには考えられないウジ類の安価さと入り組んだ種類構成は、よくいえば奥が深く、悪くいえばいいかげんなもうひとつの分類学の世界といえよう。 ただ、日本でも女性を巻き込んだ最近の釣りブームは、本章の冒頭にふれた、生き餌を使う「赤っ首流」からルアーやフライフィッシングに移行しつつある。そうした風潮から見ると、 釣りブームとは裏腹に"商虫"の将来は暗いのかもしれない。最近、ある大手釣具店の新聞折り込み広告に、「エサつかめーる」という実にわかりやすい名の釣り用の指サックが出ていて、 「これは便利! 生エサが苦手という方のために」とあった。たかが指サック一枚で、虫やミミズへの嫌悪感がなくなるとも思えないが、売れているとすれば、これが女性の釣り人口の増加に一役買っているのかもしれない。 1996年の夏、森林害虫の研究者でヘラブナ釣りを無上の趣味としていた友人の野淵輝氏が交通事故で急逝された。ヘラブナ釣りこそは世界に先駆けた日本の"キャッチ・アンド・リリース"の釣りであった。 ぼくはかつて、「釣った魚は食べるのが本来で、魚を傷つけ、放すことで自然保護をよそおうスポーツフィッシングは身勝手な遊びだ」と、野淵氏に酒席でからんだことがある。彼は「抜けられない深みもある」というようなことを言った記憶がある。 今、形見にいただいた氏の芸術的といえる手製のウキを見ながら、なぜかそのことが懐かしく思い出される。 脚 注(1)徳永雅明(1949)「つりと虫」(『新昆虫』2巻7・8合併号)北隆館(2)レインズ・H(1995)『フライフィッシング賛歌』(倉本護訳)晶文社(原著は、Howell Raines 〈1993〉 FLY FISHING THROUGH THE MIDLIFE CRISIS) (3)澁澤敬三(1962)『日本釣漁技術史小考』角川書店 (4)田中誠(1996)「江戸城に納められた虫たち」(『インセクタリゥム』33巻1号)東京動物園協会 (5)本間敏弘(1982)『新・釣りエサ事典』東西社 (6)つり人社編(1981)『釣りエサ百科』つり人社 (7)徳永雅明(1937)「釣餌昆虫考(其の一)チシャの虫」(『関西昆虫雑誌』4巻3号) (8)安富和男(1980)「衛生害虫に関する最近の話題」(『応用昆虫学総説』〈野村健一編〉第9章)養賢堂 (9)早川淳之助・大西満編(1984)『釣り場・釣り技』こう書房 (10)小学館編(1995)「親の顔が見たい―なじみの釣エサを育ててみる」(『別冊ビーパル・ラピタ』2巻春号)小学館 初 出(いずれも改変)梅谷献二(1990)「釣り餌の"商虫"たち1」(『インセクタリゥム』27巻10号)東京動物協会――――(1990)「同上2」(『同上』27巻11号) ――――(1996)「同上3」(『同上』27巻11号) ――――(2004)『虫を食べる文化史』(第3章 ・釣り餌の商虫たち)創森社 完 |
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