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さらば妖怪たち


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去る者・来る者

 ヒトが住居という文明を開発し、それを育て上げてきた年月は、生物進化の歴史から見れば、つい最近のわずかな年月に過ぎない。今日、この住居の中には、ゴキブリ類ばかりでなく、さまざまな昆虫たちがわれわれと生活をともにしている。 そして、この小さい同居者たちの中には、ヒトの住居を生活のすべてのよりどころにしているものも少なくない。しかし彼らとて、もともとはヒトとはかかわりの薄い「野の虫たち」であった。

 ぼくはかねてから、屋内に住む虫たちの、野外から屋内へと居を移したプロセスについて少なからぬ興味を持ってきた。そして、このような適応が彼らの歴史の中ではずいぶん短い間に起こったことの融通性に驚嘆している。 ただ、ゴキブリ類で代表されるように、これらの小さい同居者たちの多くは、家主であるヒトからは決して歓迎されていない。たとえ何の悪さもしない種類であっても、それが昆虫であるというだけの理由で排斥されてきた。 これまでにどれだけ多くの屋内性の昆虫たちが、スリッパで叩かれ、殺虫剤のしぶきを浴びて落命していったことであろうか。

 一方、ヒトの住居はひたすらに快適さを求めてその構造や材質が変化してきた。その結果、日本家屋の場合も、木と紙を主材にした独得の建築様式を現出させ、それはまた、耐久性と構造美において世界に誇る存在でもあった。 ところが、近代のビルや団地の急速な普及は、これまでの歴史的な変化とは、質的に異なる異文化による急変であった。ここにおいて一部の日本特有の屋内性の昆虫たちは、ついに日本人との同居生活についてこられなくなり始めた。 その反面、気密性と暖房機器の発達がゴキブリ類のますますの繁栄を約束し、浄化槽の完備がチカイエカやチョウバエ類などの新たな同居者を生み出している。

 去る者は悲しい。ぼくはいささかの惜別の情を込めて、野に帰った小さいある同居者のことを、墓碑銘に代えて紹介しておきたいと思う。
 

チャタテムシの仲間

図1 普遍的な屋内害虫のコナチャタテの成虫
(全農教原図)
 小さい同居者のうちでも、とりわけ小さいのはチャタテムシの仲間である。この仲間は世界から3,000種以上が記録されているが、研究が進めばさらに大幅な増加が予測されている。もっとも、 その大半の種類は野外で樹木の周辺や鳥の巣、地表など人間生活とは関係の薄い場所で、カビやコケや動・植物質の微細片などを食べて細々と暮らしている。しかし、コナチャタテの仲間(図1)などの一部の種類は屋内に住みつき、 おもに乾燥した雑多な動・植物質食品を食害する害虫として知られる。ほとんどの種類は体長1mm内外の微小種で占められるが、野外性の種類の中にはこの仲間としては大型の体長が5〜10mmにも及ぶ種類もある。

 梅雨のころ、台所の湿った場所や、食器棚の隅などでチョロチョロ動く薄茶色の体長1mm内外の小さな翅のない虫を見かけたら、ダニ類でなければコナチャタテムシの仲間と思ってもおおかたは当たっていよう。 また、昆虫の愛好家ならば、幾多の昆虫標本をこの虫にボロボロにされたいまいましい経験を持つなじみの虫でもある。どこにでも侵入し、異物混入でクレームの原因になる虫としても知られる。 さらにはその消化管の中に大量のカビの胞子を持ち、その中には発がん性物質を生産するものも含まれるという報告もある。身体の小ささは数でおぎない、害虫としてのこの仲間の実力にはあなどりがたいものがある(図1)。
 

名前のいわれ

図2 スカシチャタテの成虫
 屋内で見られるチャタテムシ類の中にあって、スカシチャタテという種類は例外的な存在である。まず、体長が約3.5mmと格別に大きく、透明でリッパな翅を持っている(図2)。さらにその食物も、 木や竹などの建材に生じるカビ類で、食品などを加害することはない。ぼくはこのような言い方は好まないが、分かりやすく言えば"良いチャタテムシ"なのである。そして、このスカシチャタテこそが"チャタテムシ"と言ういわくありげな名の語源となった虫なのである。

 チャタテムシの仲間には発音器をそなえ、鳴くことができる種類が多い。チャタテムシ類の発音は、口ひげで障子を叩いて発すると長らく信じられてきた。外国でも、口ひげを使うとか、尾端で叩くなどの説がある。 しかし最近、この仲間の脚の基節器官に発音器があり、これをこすって発音することが明らかにされている。いずれにしてもスカシチャタテが障子に止まって鳴くと、その音がピンと張った障子紙に共鳴して「サッサッサッ……」という連続音が、 人の耳にもはっきり聞こえる。それがまるで茶筅(ちゃせん)でお茶をたてるときの音とそっくりだというわけで、すでに江戸時代からチャタテムシと呼ばれていた。

 夜、静かな家の中で、一人で酒を酌みながらスカシチャタテが障子で奏でる音楽を聞くのは、なんと優雅で風流なことであろうか。一茶の句にもこの虫のことが残されている。「有明や 虫も寝あきて 茶をたてる」
 

妖怪「小豆洗い」登場

 もっとも、昔はだれもがスカシチャタテの鳴く音を、虫の仕業と正しく認識していたわけではない。その認識がなければ、この音は優雅どころか怪しげですらある。

 昔のよき時代には家の中にもさまざまな妖怪が住んでいた。その中に「小豆洗い」(図3)というのがある。この妖怪は婆さんとも爺さんとも伝えられるが、なぜか夜中にアズキを洗う奇癖を持つことで知られる。 日本全国にもっとも広く分布する妖怪の一人(?)として著名な存在だが、妖怪だから人間の前にはめったに姿を現さない。だから、この妖怪の存在が確認されたのは、夜ごとにアズキを洗う音によってであった。

 この妖怪の正体こそはスカシチャタテであるという。だから、この妖怪が「茶たてジジイ(またはババア)」、この虫が「アズキアライムシ」と呼ばれてもふしぎはなかったかも知れない。しかし、 茶をたてるのはいちじるしく妖怪のイメージから外れる。同じ音でもここはやはり意味もなくアズキを洗う不気味な音でなくてはならなかったのであろう。ただ、「小豆洗い」はよほど甘いものが好きだったと見えて、 毎晩せっせとアズキを洗うものの、人に危害を加えたという話は伝えられていない。いわば"良い妖怪"だったらしい。

 もう一つ、"悪い妖怪"の方に「かくれ座頭」というのがある。この妖怪は盲目の坊主で、子供をさらうと伝えられ、いわば「神かくし」の一端を担っていたらしい。そして、この妖怪もまた、 スカシチャタテに似た、その声によって存在を知られていた。

 「小豆洗い」も「かくれ座頭」も、すでに江戸時代に識者はその正体を知っていた。図4はその例として、本草学者・栗本丹州(1756〜1834)によって著わされた江戸時代の代表的な『昆虫図鑑』である『千蟲譜』に出ているスカシチャタテを図示した「アヅキアライ」(小豆洗い)と、 おそらくコナチャタテを図示したと思われる「カクレザト」(隠れ座頭)の図である。これには「チャタテムシトモ云」と言う説明が付されている。スカシチャタテもコナチャタテも同系統の虫と喝破した眼力に敬服するが、 コナチャタテが「障子ノ紙上ニ有テ声ヲナス」というのは勘違いと思われる。

 いずれにしてもぼくは、昔の日本家屋にはスカシチャタテとは別に、同じ音を出すこれらの妖怪たちが実在していたことを信じたい。そして彼らは、今想像するよりも、はるかに人間に身近な存在だったのにちがいない。

図3 妖怪「小豆洗い」
(竹原春泉画『絵本百物語』より)
図4 栗本丹州『千蟲譜』(写本)より、
アヅキアライ(左)とカクレザト
(国立国会図書館蔵)
 

妖怪たちとの別れ

 ぼくは子供のころ東京の杉並で育った。そして夏ともなると、家の障子に止まるスカシチャタテの姿をよく見かけ、その鳴く声を聞いた記憶もかすかにある。しかし、近年の都会地でこの鳴き声はおろか、 この虫の姿を見た人すらまずいないのではなかろうか。戦後の都市化の進行と住宅構造の変化は、どうやら野外と屋内を行き来しているスカシチャタテのような虫を家の中から完全に放逐してしまったらしい。

 もともとスカシチャタテは、その食物であるカビとの関係から、風通しの悪い古い家に多かった。このような条件はまた、妖怪たちにとっても絶好の住み場所であった。ひるがえって近代の住宅を見ると、 日本古来の妖怪たちにとってそれがいかに住みにくくできているかが分かる。それに加え、都市部では障子すら姿を消そうとしている。障子がなくなってきた原因は、和室が急減したことや保温性が悪いことに加えて、 障子紙の破れやすさや張替えの手間を現代人が嫌ったからにちがいない。障子は逆さに立てかけて、その上方から紙を貼ってゆく。貼り合わせ部分にホコリがたまらないことを配慮した生活の知恵で、 昔はこの作業ができない主婦などいなかった。しかし、遠からずこの技術が消滅することは必定である。

 もし今日、スカシチャタテが団地の中に紛れ込んでも、アルミサッシの上では、とてもその声を人の耳にまでは届けられまい。今の団地には外来のゴキブリや西欧型の妖怪は住めても、もはや、 スカシチャタテや日本古来の妖怪たちが安住できる場所ではなくなってしまった。

 鉄筋住宅でも、自分で障子を張り替える必要のない金持ちの豪邸では、まだ障子が多用されている。しかし、このような邸宅はもちろん風通しもよく、カビなどもそうやたらに生えまい。 もしこのような場所で、茶をたてるような静かな音が聞こえたら、障子をそっと開けてみるといい。多分その家の主人が本当に茶をたてているはずである。たとえその風貌が「小豆洗い」や「かくれ座頭」に似ていたとしても、 それは妖怪であるはずがない。

 今、スカシチャタテと妖怪たちは、全日本的な規模で屋内からその姿を消そうとしている。去り際に別れの言葉をささやいてくれたとて、それを人の耳に届ける障子もなく、西欧型妖怪のテレビジョンの原色の大声によって、静かな夜も失われて久しい。

 スカシチャタテも妖怪たちも、再び家の中に戻る日はもう来ないであろう。
 さようなら。さようなら。

[環境衛生、29巻・6号(1982)を改変]



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