そろそろ新茶が待ち遠しい季節だが、この時期の茶農家の心配はなんといっても晩霜だろう。わが国の茶園面積は5万ヘクタール、うち3万ヘクタールの茶園で霜害が心配される。
だがその霜害も最近はいちじるしく少なくなった。防霜ファンが普及し、効果を上げているからである。
今ではすっかり茶園風景にとけ込んでしまった防霜ファン 【絵:後藤 泱子】
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防霜ファンは昭和46年、三重県農業技術センター茶業センターの横山俊祐(よこやま しゅんすけ)らによって開発された。もっとも、この種のアイデアが以前になかったわけではない。
昭和28年には当時の農林省茶業試験場で大型ファンを用いて「送風」の野外実験を試みている。
ここで晩霜と送風の関係について説明しておこう。晩霜害は3月中旬から5月にかけての寒気が襲来した夜、とくに風のない早朝に発生する。ちょうど一番茶の萌芽から茶摘みにかけての時期で、
新芽が寒気(マイナス2度以下)にさらされればひとたまりもない。
この寒気を茶園上の暖気に置き換えようというのが、送風のねらいであった。じつは厳寒の風のない夜には、茶園上層6〜10メートルに地面より4〜5度暖かい空気の層(逆転層)が滞留している。
前記の茶業試験場の実験はこの逆転層を送風で破壊し、暖気を地表に下降させようとした試みだが、実用には至らなかった。地上に設置したファンの送風では、
たとえ大型ファンでも昇温効果には限界があるということだろう。
横山のアイデアは〈逆転層近くにファンを上げ、上層暖気を直接茶葉に吹きおろす〉というものだった。昭和45年、中部電力・三菱電機の協力を得て野外実験に移る。
霜の降りそうな厳寒の日を選び、徹夜の観測がつづいた。時間を追って、地上10メートルまでの気温変化と茶園内各地点の葉温の変化を細かく観測する。
もちろん茶の生育・摘採期などへの影響も綿密に調査した。おかげで防寒衣2着がぼろぼろになってしまったという。
実験の結果、ファンの設置高さは6メートルほどでよく、750ワット小型ファンでも10アールに3台ほど設置すれば十分な効果が期待できることが明らかになった。
しかも暖気の送風によって萌芽や生育が促進されるため、摘採期も4〜7日早く、品質も向上した。当然、その分高値で取引されることが期待された。
昭和46年10月、横山はこの結果を公表する。「二階から目薬」というそしりがなかったわけではないが、なによりも実績がものをいった。翌年からは各県の試験場が競うように実証試験に参加し、
やがて普及へとつながっていった。
防霜ファンの効果はわかりやすい。霜害にあった茶園は一夜にして黒変し、無惨(むざん)な姿をさらすが、防霜ファンが作動した茶園では緑が輝いてみえる。
とくに昭和54・55年の大霜害の際、歴然とした効果が認められたため、以後急速に各地に普及していった。現在の普及面積は2万ヘクタール、くぼ地のような不適地を除けば、
ほぼ100%普及したといってよい。最近はすっかり日本の茶園風景にとけ込んでしまっている。茶園外でもサクランボ・リンゴなどで広く利用されている。
横山は昭和53年に茶業センター場長を最後に退職、現在は自らの研究史の執筆に没頭しているという。
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