トマトの「桃太郎」。ピンクの色合いと 甘さで消費者に受けた 【絵:後藤 泱子】
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スーパー・マーケットの野菜売り場に行ってみると、濃桃色の大玉トマトが目につく。生食用の完熟トマト品種「桃太郎」である。最近は国内市場の85%が桃太郎系で占められているというから、
その超人気ぶりがうかがえよう。育成したのはタキイ種苗株式会社研究農場(滋賀県甲西町)の住田敦(すみた あつし)である。
農産物の流通にスーパーが大きな役割を果たすようになったのは、昭和30年代も後半になってからである。この時期、高度経済成長の波に乗って、スーパーが街ごとに誕生する。
以来、農作物の流通はスーパー抜きで語れなくなった。
スーパーの出現でもっとも大きな影響を受けた野菜の一つは、トマトだろう。ビニールハウスやガラス室を利用した施設園芸が急速に発展し、年間を通じて新鮮なトマトが消費者の食卓を飾るようになった。
だが昭和50年代になると、新たな問題が発生する。<ハウスものになって味が落ちた><耐病性品種は味が悪い>という声が、市場や消費者から聞こえてくるようになった。
土壌病害抵抗性や各作型向けの品種ができたのはいいとしても、グルメ時代に応(こた)える<おいしさ追求>が後回しにされたからである。
住田が桃太郎の育成に着手したのは、こうした問題が顕在化しつつある時期だった。とりあえず広域流通向けの硬いトマトづくりから出発したそうだが、そこは民間育種。
社会情勢に即応して、おいしい完熟トマトづくりに目標を変更していった。
ここからは、タキイが保育する豊富な遺伝資源がものをいった。果肉の硬さはアメリカの機械収穫用品種。糖度はアメリカのミニトマト。ピンクの色調と味のよさは国産の大玉トマト。
耐病性はやはりアメリカの抵抗性素材など。多様な材料が投入されていった。
もちろんこの時期、他の種苗会社もトマトの品種改良に力を尽くしていたが、その中心は「ファースト」系トマトの改良にあった。ファーストとは当時人気を集めていた高糖・良食味トマトである。
すでに評価の固まったこの品種にオンブし、耐病性や作型適応性を追加しようというのが、大方の育種戦略だった。だが住田はこの戦略を選ばない。「過去の流れにとらわれず、
遠回りでも一つずつ有用形質を積み重ねていったことは成功につながった」と住田は述懐している。
昭和59年、桃太郎は世に出る。糖度は従来の品種に比べ2度近く高く、果肉部も多い。高アミノ酸で肉質もなめらかであったため、販売直後から市場の人気をさらった。
とくに夏場に1週間おいても実くずれしない点が流通関係者に受けた。日本人はピンク色で甘いトマトが好みだそうだが、色も甘さもまさに消費者好みの組み合わせだった。
品種名は社内公募で決められたそうだが、スーパーのお客さんを意識した命名といってよいだろう。
桃太郎は夏秋栽培用だが、以後、促成栽培・抑制栽培用のハウス桃太郎・桃太郎ヨークなどの兄弟品種がつづき、今日に至る。住田は現在、研究農場長として活躍中で、
これらの品種の育成にかかわっている。
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