今年も見事に実った<山辺の道>ぞいの刀根早生ガキ 【絵:後藤 泱子】
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色づいたカキがたわわにみのる農村の秋景色は、日本人の心にひそむ原風景の一つだろう。ましてそれが、國(くに)のまほろば大和(やまと)の国の山辺(やまのべ)の道ぞいとあれば、なおさらである。
昭和39年ころから、その山辺の道ぞいの天理市萱生町のカキ園で、きわだって早く色づく1本の渋ガキがめだちはじめた。周囲の樹より10〜15日も早なりで、色合いもよい。
9月中下旬にはもう収穫できた。樹の特ち主を刀根淑民(とね よしたみ)といった。
話は昭和34年の伊勢湾台風にさかのぼる。災害史にも名を残すこの大台風は、奈良地方のカキにも多くの被害をもたらした。とくに、植えて5年の刀根の「平核無(ひらたねなし)」
のカキ園は被害甚大で、隅の一本は主枝が裂け、へし折られてしまった。やむなく刀根は翌々年、その台木から自生した枝梢に、もう一度平核無を接ぎ木した。問題の早なりの樹は、
その接ぎ穂が生長したのである。
<枝変わりかも知れない>ここから刀根の観察がはじまった。樹は年々生長し、多くの果実を着けるようになったが、熟期は依然早い。食べてみると、肉質もよくおいしい。
突然変異品種の誕生と確信した刀根は、普及所を通じ、奈良県農試に調査を依頼した。だが、調査ははかばかしくは進まなかった。株元に虫食い痕があり、その影響かどうか、
高接ぎして再調査する必要があるというのである。
試験場は慎重だったが、周りの農家は待っていなかった。なにしろ村一番色づきの早いカキで、よくめだつ。たちまち評判になり接ぎ木して殖やしたいという申し出が殺到した。
遠くから訪れる人も多かった。中には無断で枝をシッケイしていく人もいたという。
昭和51年ころ、たまたま萱生を訪れた専門技術員の福長信吾がこの実態を目にする。事態を重くみた彼の尽力で、以後、品種登録の手続きは急速に進む。
試験場でもこの時期には調査が進み、新品種であることが検証されていた。昭和55年、晴れて新品種と認定され、「刀根早生(とねわせ)」と命名された。
刀根早生は外観や食味は平核無なみだが、早生で品質がよい。とくに歓迎されたのは、この品種と他品種を組み合わせることで労力の分散が可能になり、経営面積を拡大できるようになったことである。
最近はハウス栽培にも広く活用され、評価を不動のものにしている。よい品種を取り入れ、少しでも経営の安定を図りたいという農家の意欲が、刀根早生を世に送り出したといってよいだろう。
今では品種の組み合わせで、6月下旬から12月まで長期連続出荷が可能になっている。
平成8年現在、刀根早生の栽培面積は2,400ヘクタール、富有・平核無についで3位を占める。
この7月にはカキ農家と関係団体の寄金によって、ゆかりの地に「刀根早生柿発祥の地」の碑も建立された。この品種を称(たた)え、育成者を顕彰する人びとの気持ちのあらわれだろう。
刀根は73歳、今も元気で奥さんと2人で70アールのカキづくりに精を出している。
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