昭和42年7月17日。潮岬南方500キロの洋上にあった気象庁定点観測船「おじか」は、突如飛来した虫の大群に取り囲まれた。何万匹という小虫が船の周りを乱舞し、
粉雪が舞うようにみえたという。後日、虫の正体は稲の大敵セジロウンカ・トビイロウンカと判明した。この出来事が、我が国のウンカ研究の流れを一変させることになった。
推進役は、当時九州農試にいた岸本良一(きしもと りょういち)である。
短翅型のトビイロウンカとその被害を受け <坪枯れ>状態になった水田 【絵:後藤 泱子】
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セジロ・トビイロの両ウンカは稲作の重要害虫である。有名な享保(きょうほ)の大飢饉(ききん)は両ウンカの大発生が原因という。最近でも数年に1回は多発し、農家を悩ましてきた。
生態がごく最近まで、謎に包まれていたためである。
セジロもトビイロも6〜7月に忽然(こつぜん)と水田に出現する。秋まで増殖を繰り返し、稲を食害するが、冬になると突如いなくなる。冬から春をどこで過ごすのか。
学会でも2説が戦わされていた。1つの説は国内のどこかで越冬し、春になって各地に飛散するとする越冬説。対するは毎年海外から飛来するという飛来説。
大勢は越冬説で、越冬地をみつけたとする報告もかなり寄せられていた。
そこに届いたのが、「おじか」の衝撃的なニュースである。かねて飛来説に関心をもっていた岸本を勇気づけたのはいうまでもない。さっそく仲間と本格調査に着手する。
まず観測船に乗り込み、定期的な洋上観測を試みる。地上でも、予察灯や水盤・捕虫ネットを使い、各地での飛来虫数を連日観測した。この結果、東支那海の飛来と九州における飛来に同時性があることが明らかになった。
ウンカには長翅(し)型と短翅型がある。普通、最初に飛来した長翅型ウンカが田に住み着き、そこで3世代を過ごす。1世代で10個以上産卵するから、3世代で1,000〜1,500倍も増殖する。
この間は短翅型が多く、株間でもほとんど移動しない。被害が坪枯れ状を呈するのはそのためだ。他にもウンカが稲以外に寄生しないこと、10〜24時間は連続飛翔(ひしょう)が可能なことなども明らかにされた。
昭和46年、岸本は両ウンカの海外飛来に関する新説を国際誌に発表する。梅雨どきの低気圧にのって、中国大陸から飛来するというのである。
彼の説は中国・東南アジアの研究者にも関心を呼び、以後国際的な規模で研究が進められるようになった。
昭和62年、九州農試の清野豁(せいのひろし)らによって、飛来経路が明確にされた。梅雨前線の南側を華南から西日本に吹き抜ける強風〈下層ジェット気流〉が両ウンカの通路だったのである。
今日では、この気流解析によって飛来を予察し、防除対策をたてることもできるようになった。大昔から農家を悩ましてきたセジロ・トビイロの大被害は、
もはや過去のものになったといってよいだろう。
最新の研究では、初発地は東南アジアで、ここで常時繁殖している両ウンカが中国南部へ移動、さらに海を越えて日本に至ると考えられている。ウンカからみても、世界はせまくなっているようだ。
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