【絵:後藤 泱子】
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ビールのおいしい季節だが、今回はそのツマミのポテトチップスを話題にしたい。
わが国の加工食品用ジャガイモ需要量は現在130万トン弱、その約6割を輸入原料が占める。だが、ことポテトチップスに関する限り、ほぼ100%が国産でまかなわれている。これも国産初の食品加工用品種「トヨシロ」が育成され、
品種改良―生産―食品加工をむすぶ原料供給体制が整備されたからである。
事のおこりは昭和50年前後、ポテトチップスが日本人の食生活に定着しはじめた時代にさかのぼる。ちょうど外食産業が輸入乾燥原料を用いた成形チップスを売り出した時期でもあった。ひとりの研究者がリュックを肩に、
ポテト加工食品最大手のC社の社長室を訪れた。「トヨシロ」の売り込みにきた北海道農業試験場梅村芳樹である。彼はここで、この品種がチップス用としていかに適性に富むかについて、熱っぽく社長に説明したという。
「トヨシロ」は昭和51年(1976)、北海道農試において梅村らによって育成された。還元糖含量が低く、油加工で褐変しない。良食味で大粒、目が浅く製品歩留まりもよい。この品種が押し寄せる輸入原料を抑え、
チップス用として国内シェアを確保できたのは、梅村の売り込みと、それに応えた社長の英断があったからだろう。
梅村は昭和36年(1961)に北海道農業試験場で研究生活第1歩を踏み出した。赴任したのは、当時島松(現在の恵庭市)にあったジャガイモの品種改良研究室である。彼はここで前後2回、延べ27年間にわたってジャガイモの品種改良を担当した。
「育種は少なくとも10年先の需要を予測していなければならない」というのが、彼の口ぐせであった。言葉のとおり、彼が北海道農試で育成した品種には、ニーズを先どりした品種が多い。チップス用の「トヨシロ」のほか、
フライドポテト用の「ホッカイコガネ」、業務用の「とうや」、サラダ用の「キタアカリ」などがそれである。
昭和52年(1977)、梅村は北海道での研究を中断、コロンビア・アンデス山地の国際熱帯農業研究センターに勤務する。アンデスはジャガイモ発祥の地。ここでの多様なイモとの出会いが、帰国後の彼の品種改良の巾を広げた。「インカのめざめ」など良食味でカラフルな、しかも機能性に富む品種がそれだが、地域特産のスナック菓子などとして話題を呼んでいる。
平成12年(2000)現在、ジャガイモの全国栽培面積第1位は食用の「男爵」、以下でん粉原料用の「コナフブキ」、食用の「メークイン」とつづき、チップス用の「トヨシロ」は4位、9100ヘクタールを占める。
「コナフブキ」は道立根釧農業試験場の育成だが、これも梅村が交配を分担した。
梅村はジャガイモのことならなんでも熱心で、品種だけでなく、農家の販売戦略の支援、消費者のためのレシピ作成まで、すべてをこなした。ジャガイモ料理人としても一流で、子どもやお母さんのために料理教室も開催している。
ジャガイモ料理に関する著書もある。
そんなタフな梅村だが、平成18年(2006)、こつ然とこの世を去った。享年70。晩年は自分が育成したジャガイモや野菜の有機栽培を楽しんでいたそうだが、早過ぎる死であった。
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