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"商虫"の条件

 釣り好きの格言に「川の魚は川の虫で釣れ」というのがある。渓流魚の主食である水生昆虫は、もちろん釣り餌としても好適で、1802年(享和2年)にすでに、「石蚕」(トビケラの幼虫)を「漁人取テ餌トス」という記録もある(注3)。 今もカワゲラ、カゲロウ、トビケラ類の幼・成虫はさまざまな呼び名で渓流釣りの餌として重きをなしているし、"毛鉤"とか"フライ"と呼ばれる多種多様の擬餌鉤(写真A-3)もこれらの虫をモデルとして作られたものである。

A-3 虫に似せて創った擬似鉤の例。
上段は水に沈めて用いるウエット・タイプ、
下段は浮かせて用いるドライ・タイプのもの
(日本製の売品)


 こうした"川の虫"は釣り餌として古くから売られ、今でも渓流に近い集落の雑貨屋などで、シーズンになると売っていることがあるらしい。しかし、川の虫は優れた餌ではあっても、商虫としてはあまり適していない。 第一に、買うまでもなく、渓流にはどこにでもいて、"川虫ネット"と称する専用の採集用具まで売られ、釣り人がそのつど自分で採集するのが一般的である。第二に、極度に保存がききにくく、 これを数日間生かしておくだけでも容易ではない。そのため、ぼくが不熱心に釣り餌の虫を調べはじめた1980年代までは、"川の虫"が売られている実例は見たことがなかった。



 こうしたことから、この小文の主題が「釣り餌の"商虫"」でなく単に「釣り餌の虫」ならば、間違いなく主役は"川の虫"になっていたはずである。しかし、釣り餌も"商虫"となると、むしろその中心は"丘の虫"になる。 実は後述のように、最近は一部の"川の虫"が"虫屋"ではおそらく考え及ばない「真空パック」及び「シロップ漬け」という手法で商品化されるようになったが、現在も商虫の主流は"丘の虫"であることに変わりない。

 イワナやヤマメやマス類などの、いわゆる渓流魚は悪食のものが多く、水に落ちたヘビやトカゲまで襲う。また、川面を飛ぶ虫を20〜30cmもジャンプして捕らえる芸当もやってのける。 虫ならばふだん口にしたことのないような種類でも好んで食べるので、餌として利用できる虫の範囲はほとんど無限といえる。しかし、これを商品化するとなると、おのずと一定の条件が必要となり、 その範囲はぐっとせばまる。

 まず、対象とする魚が好んで食べ、しかも、その魚よりも格段に安価で提供できなければ意味がない。このため、安く大量に確保できる虫である必要がある。皮膚が適当にかたくて鉤(はり)付けのいい 、 扱いやすい虫でなければならない。有毒な虫はダメである。大きすぎても小さすぎても使えない。すぐ変態してしまう生活史が極度に短い虫も困る。さらには、長命で保存のきく虫が好ましい。

 保存性については、どんな虫でも冷温貯蔵によってある程度の延命が可能で、釣具店の商虫もほとんどが冷蔵庫に収まっている。釣りは、かつての狩猟時代の名残のためか、もっぱら男性の孤独な遊びである。 一般に家族、とりわけ主婦の理解は得がたく、ハエのウジを自宅の冷蔵庫に入れるなどもってのほか―という家庭内トラブルが起こりがちである。こうしたことから、常温下で少なくとも数日間は保存できる餌虫が望ましく、 渓流釣りのシーズンとの関係もあるが、商虫にはガや甲虫の越冬幼虫が多いことも、このあたりの事情を物語っている。

 現在売られている商虫たちは、多分に釣り人による経験的な選択を経たものであろうが、結果的にせよ、多くはこれらの条件をクリアーしていることがわかる。



 釣りの本には当然、餌としての虫の記述がある。しかし、その名称は釣り世界での呼び名で書かれ、正体不明のものも少なくない。また、よほど普遍的なものを除いては、概して販売されているかどうかもあいまいである。 こうした中で、釣りに深い造詣を持つ前記の徳永先生が、戦後間もない1949年に釣り餌用の虫を紹介されたが、それには売品の有無も記されており、この時代については実態をほぼ把握することができる(注1)。

 以下、釣り餌の現代の商虫たちを紹介するが、これらは鉤への付け方などの使用法がそれぞれに異なる。ときにそれは、釣り人によっても、対象の魚によっても違っているが、本小文の主題ではないので、 ここでは原則としてふれないこととした。



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