古き良き時代、クモは人々の身近な存在だった。遊びの世界でのクモとのかかわりをいくつか紹介しておく。
ホンチ:
大正時代から、戦前ころまで横浜の子供たちの間で「ホンチ遊び」が大流行した。これはネコハエトリの雄を戦わせる遊びで、子供たちは小箱を片手に強いホンチを求めて垣根などを探し回るのがほとんど日課だったという。マッチ箱に2匹のホンチを入れて戦わせ、先に逃げた方が負けとなる。ホンチ世代の横浜の友人の話では、頭に白紋のある似たクモがあり、この紋をペンキで消したニセホンチを持ってゆくと、相手をことごとくかみ殺したという。クモ学者に聞いたところ、そのクモはマミジロハエトリEvarcha albariaという種類らしい。
また、書誌学者の小西正泰氏によると、江戸時代の中期に、ハエトリグモのジャンプする距離を競う「くも合わせ」が大人の間で大流行したという。この遊びは賭博の対象とされ、よく跳ぶクモは大金で売買されたたため、ついには禁止されたようである。
腹切りぐも:
木の根本に袋状の巣を作るジグモの巣を地中から抜き上げ、捕らえたクモをひっくり返して棒で押さえると、クモは激しく大あごを振りたてて抵抗したあげく、自分の腹を破って死んでしまう。そしてこのかわいそうな遊びが江戸時代から近年まで引き継がれていた。またこのためジグモには、「腹切りグモ」、「さむらいグモ」、忠臣蔵で切腹する早野勘平に由来する「かんぺいグモ」などのさまざまな方言が各地にある。
くも合戦:
棒にコガネグモの雌を2匹止まらせて戦わせる鹿児島県加治木町の「くも合戦」は、観光行事としていまも有名である。しかし、その起源は古く、慶長2年(1597)秀吉の朝鮮出兵のおりに、加治木城主の島津義弘が兵の士気高揚のためにはじめたのが最初と伝えられる。同様なコガネグモを用いた「くも合戦」は本州南岸の各地で見られ、とくに高知県中村市のそれは、応仁の乱を逃れて都落ちした女官たちがはじめたのが起源で、すでに500年の伝統を持つということである。
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