かつて日本においては、果物は病気見舞いや贈答品というぜいたく品として扱われてきた。ましてや、輸入品の生のパイナップルが口に入ることなどマレで、
缶詰以外に実物を見たことのない日本人もたくさんいた。スイカよりもはるかに安いパイナップルが、スーパーに山積みされる日が到来することなど、
当時のだれが予測できたであろうか。
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店頭のパイナップル
(つくば市内で撮影.1999)
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パイナップル 沖縄県
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戦後、奄美大島が米軍の統治から日本に返還されたのは昭和28年(1953)12月のことである。これによってここは日本最南端の島となり、沖縄はまだ遠い“外国”であった。
いずれにしても、奄美返還は生物愛好家にとっても大きな朗報であったが、実際にこの島へ行くのは、現在のアマゾン採集旅行よりもはるかに困難な時代であった。
そうしたなかで、仲間に先駆けて奄美の旅を実現させたぼくの友人の虫マニアがいて、みんなをうらやましがらせたが、以下は彼の土産話である。
隔世の感とはこういうことをいうのであろう。
「なんしろ、北国育ちの俺にとって見るもの聞くものすべて珍しい。なかでも畑の周辺にパイナップルが無造作に転がしてあるのにはタマゲた。
そこで、様子をうかがい2個ほど盗んで宿に持ち帰った。夜中に取り出してナイフで切ろうとしたが、これが固くて切れないんだ。翌朝、宿の主人に見せたところ、
なんと、ソテツの子株でやんの!」。
[研究ジャーナル,21巻・8号(1998)]
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