植物防疫法が設定された大正時代の初期から近年まで、東南アジアの名だたる果物のほとんどは、大害虫のミカンコミバエの存在のために日本では輸入が禁止されていた。
例外はこの害虫が寄生できない青バナナ(輸入後に後熟される)とパイナップルだけであったが、それでもこれらは日常的な食材からはほど遠い存在であった。
前述の『パイナップル異聞』で、日本ではかつてパイナップルを缶詰でしか見たことのない人がたくさんいたという話を書いたが、早速、バナナだって珍しかったという反響がいくつかあった。 東京で育ったぼくは、戦前の“バナナのたたき売り”を覚えている。が、自宅でバナナにありつけたのは病気のときくらいで、それも一度に1本以上食べた記憶はない。 また当時、ぼくはフルーツポンチが大好きであったが、その中の一切れのバナナは、いつも最後に食べた。そうしたバナナへの憧憬は決してぼくだけではなかったはずである。
戦争中はもちろんバナナは姿を消したが、戦後10年以上を経過してもその希少性はあまり変わらなかった。友人のH女子の語る。「昭和30年代の私が小学生だったとき、 ある人から学校にたくさんのバナナが贈られ、給食のときにみんなに1本ずつ配られたことがあったの。でも、はじめてバナナを見た子が多く、みんな食べずに家に持ち帰ったわ」。 協会のT筑波センター長の語る。「もう昭和30年代も後半になっていたが、試験場の某室長が一度腹一杯バナナを食べたいとの思いに駆られた。 そこで、ボーナスをはたいてしこたまバナナを買い、室員にもふるまった。ぼくは呼ばれなかったが、そのおいしさとゴージャス感は今でも忘れられないという」。 このコラムをどういう思いで読むかは、たぶん世代によって大きな較差があろう。今、スーパーでバナナよりも安い果物は、捜すのに苦労するほどである。 せっかく買っても食べ切れずに腐らせてしまう家庭も多い。バナナの今昔に思いを馳せる世代も、それをあたり前のこととして受け入れている世代も、 この飽食の時代の永続についてはなぜか疑っていない。その時代の終焉がすぐそこに見えているのに……。 [研究ジャーナル,21巻・9号(1998)] |
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