アフリカ品種は勤勉と引きかえに気性が荒く、その性質が遺伝的に優性だったために、イタリア品種との交配でますます狂暴になってしまったのである。 思いがけない“暴れバチ”の誕生と、相つぐ人畜への被害のニュースは世界をかけめぐり「スウォーム」という映画が作られたり、朝日新聞でも大きく報じられた。 暴れバチはまた移動力が大きく、各地でイタリア品種と置き換わりながら勢力を拡大し、1985年にはついにパナマにまで達した。 この地峡地帯ではさまざまな北上阻止の方法がとられたが、最近ではメキシコに侵入し、アメリカ本土への侵入がますます深刻に憂慮されているという。 とにかく暴れバチの侵入は、その危険性もさることながら、意欲の喪失による養蜂業の壊滅の方がもっと恐れられている。ただ、このハチは出身地を反映して寒さに弱く、 それが北上ストップへの期待ともなっている。さいわい日本は地理的にも気候的にも、申し訳ないが当面は“対岸の火事”である。 [朝日新聞夕刊「変わる虫たち」,(1989.2.20)] |
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