イギリスに住むオオシモフリエダシャクというガは、灰白色の翅(はね)を持ち、ふだん止まっているブナやカシの幹ではそれが見事な保護色になっている。
ところが、前世紀後半ころから、マンチェスター地方などで工業化が進み、ばい煙で木が黒く汚染されると、その進行に合わせるように、このガも黒い個体が増え始めた。
この現象は、多くの研究者の注目を引き、「工業黒化」と名付けられた。ただ黒いガは、工業化の以前から少数ながら存在していたことがわかり、 それは白いガの集団の中から突然変異によって生じたと推定された。 しかし、この黒い異端者がなぜ主流を占めるようになったのだろうか。イギリスの医師ケットルウェルが本業を投げ出してこの問題にとり組み、 巧妙な実験の繰り返しによって、1955年にそれは決着を見た。簡単にいえば、まず、工業化によって木が黒くなり、ここでは黒いガの方が保護色効果が高い。 その結果、鳥の捕食は白いガの方が高い頻度で起こり、この鳥による淘汰(とうた)によってやがてほとんどのガが白から黒に置き換わった――というわけである。 この話はいささか旧聞に属するが、突然変異と自然淘汰による生物の進化が、驚くべき短時間の中でも起こり得ることを示唆したものとして今日でもよく知られている。 [朝日新聞夕刊「変わる虫たち」,(1989.3.8)] |
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