1965年6月、東京の江東区に突然イエバエの大群が押し寄せ、大騒ぎになった。調査の結果、このハエは海を隔てた2km先の、通称「夢の島」から飛来したものと推定された。
夢の島は東京のゴミ捨て場である。それによる埋め立てが完了すると場所を変え、現在は東京湾沖合の約400haの中央防波堤処分場が三代目の夢の島として、 東京のゴミを一手に呑(の)みこんでいる。とにかく、もともと天敵などいないところに、エサが無尽蔵にあるのだから、イエバエが増えない方がおかしい。
第3夢の島1985年年のイエバエ(メス)の有機燐剤抵抗性
(数字はマイクログラム)
そこで当時、夢の島には繰り返し大量の有機リン系の殺虫剤が散布された。これに対してイエバエは、通常の2千倍にも達する驚異的な抵抗性を発達させ、 不死身に変ぼうして増え続けた。さらに、イエバエの活動半径は発生地から40m以内という定説を覆し、極度の高密度下で分散能力まで変化させ、海を越えたのである。 そのため東京都は79年から戦術を変えた。この抵抗性イエバエにも有効な新しい複数の殺虫剤を、1年ローテーションで用い、連用による新たな抵抗性の発達をおさえる一方、 ゴミの表面を土で覆うことを励行したのだ。現在、これが劇的な効果をあげ、まずはめでたく、海を渡るイエバエも昔話になろうとしている。 [朝日新聞夕刊「変わる虫たち」,(1989.3.27)] |
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