ぼくが子供のころ、東京にはまだフタのないドブがたくさんあり、そこで「赤虫」と呼ばれる赤い色のボウフラがよく見られた。赤虫はセスジユスリカというひ弱く短命なカの幼虫で、
カとはいえ口器が退化して吸血することはない。だから、赤虫が釣りのエサとしてよく知られていることを除けば、この力は人間生活とはかかわりの薄い“ただの虫”にすぎなかった。 ところが、そんなユスリカが近年各地の都会で大発生し、東京でもとくに神田川沿いの家では、しばしば万を超す大群が飛び込み、にわかに最大級の不快害虫にのしあがってきた。
水質の汚染度はBOD(生物化学的酸素要求量)で測定されるが、赤虫は、これが7-20ppm程度の汚れた水に住み、これ以下のきれいな水や、これ以上に汚染した水では生きていけない。 このため、赤虫は水の汚染度を知る生物指標にも使われている。 1950年代の後半ころから、神田川は都市化の進行によって赤虫すら住めない死の川と化した。やがて東京都の懸命の浄化策が成功し、住民は悪臭から解放されたが、 ほどほどに浄化された川は赤虫の大発生を呼び、思わぬユスリカ公害をまねいたのである。 はたして神田川は、かつてのような“水清くしてユスリカ住まず”まで戻り道があるであろうか。
>朝日新聞夕刊「変わる虫たち」,(1989.4.17)
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