技術者と農家の心の交流を刻んだ碑(いしぶみ)の数々〜品種改良、栽培、技術開発…… |
このシリーズも、どうやら2年間書きつづけることができた。今回は一服。碑(いしぶみ)について書いてみる。執筆のため訪れた土地で、
農業技術に関する碑に数多く出会うことができたからである。
「農家の方から毎年、正月には餅、春は饅頭、夏はスイカやマクワウリなど手作りの品を食べきれないほどたくさんいただいていました。貧しい食生活の中では、 ほんとうに美味しい品々だったことを鮮やかに記憶しています。」 暖地ジャガイモの育ての親、長崎農試宮本健太郎技師の令息誠氏からいただいた私信の一節である。食糧難の時代であった。技術開発にたずさわった研究者と、 これを支援した農家との交情が伝わってくる。 この農家の人々が建てた「顕彰碑」は彼が活躍した愛野試験地に立つ。私が見てきた碑の中でもとくに大きい。宮本と農家のきずなを形にすればこうなるのだろう。 碑といえば、長野県飯山市の松田順次技師の頌徳碑も大きい。現在の田植機の普及は松田の室内育苗法の発明に端を発した。 「米が1石(150キロ)も余分にとれるようになった」という農家の気持ちが碑になった。松田は退職後、大町市に転居したが、彼を慕う農家の集いはつづく。 大町まで往復5時間を、バスを仕立てて松田を訪ねたこともある。夫妻を温泉に招待して、思い出に花を咲かせたこともあった。30年たった今も、 毎秋碑の前で松田会」が催されている。みんなで頌徳碑のしめ縄を換え、清掃をするという。 福井農試にある「コシヒカリの里」の碑。コシヒカリはここで生まれた。伊豆修善寺の丘に建つ、ぶどう「巨峰」の育成者大井上康の碑。笛吹川のほとり、 山梨県石和市の「種なし葡萄発祥の地」の碑。北海道常呂町の「甜菜紙筒移植栽培発祥の地」の碑などなど。 まだまだ多くの碑が、農家の手によって日本のあちこちに建てられていることだろう。 生きた碑もある。静岡県の杉山彦三郎が育成した茶「やぶきた」の原樹は、今もJR草薙駅に近い道路ぞいに生育している。大人の背丈もはるかに越える樹冠に、 濃緑の葉をいっぱいに茂らせている。 リンゴの「ふじ」の原木は盛岡市の果樹試験場盛岡支場で今も現役である。この原木から殖やした無数の木々が、今では国の内外でおいしい実をつけている。 盛岡支場へは、原木詣での生産農家が今も後を絶たない。太い樹幹の傍らに、ときどきお賽銭(さいせん)やカップ酒が供えられているという。 技術革新に情熱を燃やした人々。彼らに期待を寄せ、これを支えてきた人々。碑に刻まれているのは開発者をたたえる文だが、彼らを支えてきた農家の人々をたたえる文でもある。 技術者と農家の太いきずなの証(あかし)であろう。 技術革新は、それを育(はぐく)むあたたかい培地があってこそ、はじめて生まれるものなのだろう。 |
(西尾 敏彦) |
「農業共済新聞」 1996年4月10日 より転載
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関連リンク : 農業技術発達史へ