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種なしブドウの誕生(1)
稲の病菌毒素から生まれたジベレリン

〜技術革新目前の早過ぎる死〜


黒沢 英一の栄誉



 ブドウの品種デラウエアは栽培面積6700ヘクタールと首位にあり、全ブドウ面積の3割を占める。この品種が今日なお広く消費者に好まれるのは、 「種なし化」に成功したからだろう。ご存じのように、その華麗なる変身は品種改良のせいではない。植物ホルモン「ジベレリン」の処理による。

 これから2回、その「種なしデラ」の誕生について書こうと思う。ただし、初回はブドウに関わりのない、稲の病気の話からはじめたい。70年も昔、 日本統治下の台湾でなされた地道な病理研究が、今日、日本中の食卓をにぎわす種なしデラの源流だからである。

 最近は種子消毒によってかなり抑えられてはいるが、水稲の育苗の際、ヒョロッと丈の高い苗が混ざることがある。「ばか苗病」という変った名をもつ病気である。 この病気が、高温多雨で、種子消毒もできない、かつての台湾ではとくに猛威をふるっていた。

 大正末期、その台湾で、総督府農事試験場黒沢英一技師がばか苗病研究に取り組む。「温厚で控え目な人だった」と、彼を知る人はいう。この黒沢によって、 ばか苗病菌が「一種の毒素」を分泌し、その分泌物質が植物を徒長させることが明らかにされた。

本田に混ざり込んだばか苗  絵:後藤泱子  病菌を人工培養する。その培養液を特殊な濾過器でこし、菌を除く。無菌になった濾液をうすめ、これに稲や他の植物の種子を播くと、やはり苗が徒長した。 つまり病菌自身ではなく、その分泌物質に徒長効果があったのである。大正15年のことであった。

 ここから研究は化学者にリレーされる。昭和13年、東京大学の藪田貞治郎教授らによってその徒長物質の化学構造が明かにされ、「ジベレリン」と命名された。 ばか苗病菌の学名ジベレラに因んだものである。黒沢もこの頃は故郷の茨城県に帰り、農林省農事試験場に通勤していたそうで、藪田らの研究に菌株を分与し、 協力を惜しまなかったという。

 ジベレリンの研究は戦後急激に進展する。我が国の研究に注目したアメリカ・イギリスなどの研究者が戦時中のペニシリン開発の経験を生かし、 病原菌の大量培養に成功したからである。材料が大量に手に入れば、解析研究も急速に進む。おかげで今日では、ジベレリンに多くの種類があること、 もともと植物体内に存在してその生長に関与している植物ホルモンであることが明らかになった。

 昭和30年ころから、我が国でもジベレリンの工場生産が可能になる。ブドウなど農作物を対象に利用試験が活溌に行われるようになったのはこの時期からである。

 昭和28年、黒沢は卒然とこの世を去っていった。享年59才、なんの栄誉にも浴することのない、早過ぎる死であった。彼の発見したジベレリンが、 我が国ブドウ栽培に画期的な技術革新をもたらす日が、すぐ間近に迫っていたというのに。

(西尾 敏彦)


「農業共済新聞」 平成7年7月26日より転載


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