北海道米のイメージを一変させた
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10月の上旬、北海道を旅した。ちょうど稲刈りの最中で、黄金の波が美しかった。多くは「きらら397」だろう。北海道稲作の主力品種で、
栽培面積9.3万ヘクタールを占めるこの品種は、ユニークな名前とおいしさが受け、最近は都会でも人気が高い。
だが、この品種の生い立ちは少し変わっている。「成分育種」という稲では聞きなれぬ方法で育成された最初の品種だからである。 話は、昭和40年代後半にさかのぼる。当時の道産米はパサパサで、粘りがなく、お世辞にもおいしくなかった。ちょうど生産過剰で、 稲作転換が強力に進められはじめた時代である。不人気な米しか生産できぬ北海道には、45パーセントもの高い転作率が割り当てられていた。 だが、この屈辱が道立農試を奮起させる。以後、良食味米育成を悲願に、全力を注ぐようになった。 北海道の米はなぜまずいのだろう。原因究明の口火を切ったのは、当時、空知支場にいた稲津脩(おさむ)だった。もともと土壌肥料の専攻だが、 急きょ食味研究に動員されたという。手さぐりの研究が急造のベニヤばり実験室ではじまった。文献に当たり、食糧研究所に聞き、 さまざまな実験を重ねて彼が得た結論は、米でん粉の組成にあった。 米の主成分はでん粉だが、でん粉にはアミロペクチンとアミローズの両種がある。普通のウルチ米はこの両方を含むが、後者の比率が高いほど粘りがなく、 パサパサ感が強い。例えば、北海道のかつての主要品種「イシカリ」はアミローズ含有率21〜23パーセント。おいしい新潟産「コシヒカリ」の16〜18パーセントに比べ、 いちじるしく高い。 〈低アミローズの品種をつくれば、おいしい米ができる〉稲津のこの結論が、成分育種のはじまりだった。この方法だと直接ご飯にして食べてみなくても、 少量サンプルで早い時期から選抜できる。このアイデアはすぐ育種研究者に受け入れられた。問題は、年間2万点に及ぶ育種材料のアミローズをどう迅速に測定するかである。 高価なオート・アナライザー(自動分析装置)が必要だった。 待望のオート・アナライザーが中央農試に導入されたのは、昭和53年である。研究者の熱意に応え、破格の予算を道庁が計上してくれたのである。 稲津はその時の感激を「一つの予算がきっかけで北海道の良食味化の実質的な流れがセキを切ったように進行した…」と、回想している。 昭和55年、道立各農試の総力を上げた優良米早期開発研究プロジェクトがスタートする。上川農試にも導入され2台となったオート・アナライザーがフル回転したのはいうまでもない。 59年には「ゆきひかり」、63年には「きらら397」が育成された。以来道産米は面目を一新、おいしい米がつぎつぎに誕生している。 悲願は見事達成されたといってよいだろう。 |
(西尾 敏彦) |
「農業共済新聞」 1996年11月13日 より転載
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