5月になると日本中の水田を田植機が走り回る 【絵:後藤 泱子】
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田植えの季節である。日本中の田んぼで田植機が走り回る。最近は出荷台数の6割が乗用に代わり、10条田植機まで出現している。スピードも速くなった。軽快に走り回る田植機をみていると、
この風景を見ることなく逝(い)った一人の研究者の無念が思い起こされ、胸がいっぱいになる。「高速乗用田植機」を開発した農業機械化研究所(現生研機構)故山影征男(やまかげ いくお)主任研究員のことである。
<乗用田植機など、歩行型の植え付け部をトラクターに乗っけただけ>と思っている人も多いだろう。たしかに初期には、そうした田植機もなかったわけではないが、
乗用のメリットであるスピードが出せなかったため、普及しなかった。そこには、越えがたい技術の壁があったのである。
従来の歩行田植機の植付機構はクランク式と呼ばれる。駆動軸の回転をクランク軸を介して植付爪に伝え、人の手に似た動きをつくり、苗を植え付けていく。
この方式は構造が簡単で植え付けも正確だが、速度を上げると振動が増し、精度が落ちてしまう。乗用にしても、これでは歩行なみの速度しか出せなかった。
山影はこの壁を見事に突き破る。彼が考案した<偏心歯車列利用の回転式植付機構>がそれである。この方式では、1列に並んだ5個の歯車列が中央の歯車を軸に回転する。
その際、それぞれの歯車の回転軸は円心からずれているので、両端の歯車は長円軌道を描く。植付爪はこの歯車にそれぞれ固定されていて、駆動軸1回転で2株の苗を交互に植え付けていく。
苗を掻(か)き取る時と植え付ける時、爪の角度をいかに適正に制御し、いかにスムースに動かすかが、研究のポイントだった。
ヒントは機械学のハンドブックから得たそうだが、植付機構への適用はまったく山影の独創だった。研究は昭和58年末に着手され、61年春に完成している。
短期間に完成できたのは、山影と彼の共同研究者小西達也(こにし たつや)の昼夜を分かたぬ研究の成果だろう。「研究は攻めなくちゃいけない。守りにまわったらおしまいだ」というのが、
山影の口ぐせだったそうだが、まさしく攻め抜いた研究だった。
昭和61年6月、彼らの努力は実り、市販1号機が井関農機から発売された。最高速度は毎秒1.1メートル、従来のクランク式の1.5倍のスピードで走行できる。
作業能率でも30%のアップが期待できる。画期的な新鋭田植機の登場だった。
回転式植付機構は、以来各メーカーに採用され、今では8割以上の乗用機がこの方式を採用している。高速乗用田植機時代の到来だが、この時、山影の姿はなかった。
先述した市販1号機発表のわずか1週間前に、卒然と帰らぬ人になってしまったのである。まだ働き盛り、42歳の若さだった。過労が彼の健康を蝕(むしば)む結果になったといわれる。
山影を偲(しの)ぶ友人たちの追悼集に「山影君の人生は、2Bの鉛筆で力いっぱい引いた線のように真っ直(す)ぐだった」とあった。まことに同感である。実は著者も、
若い日の山影と研究をともにした経験をもつ。彼のくりくり眼(まなこ)と、ひたむきな仕事ぶりは今も忘れ難い。
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