ジャンボナシの「愛宕」(左)と普通の大きさのナシ 【絵:後藤 泱子】
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年の瀬が迫ってくると「新高(にいたか)」「愛宕(あたご)」といったジャンボナシが店頭を飾る。晩生で日持ちがよく、見栄えの見事さ風味のよさが、
歳末贈答用にうってつけだからだろう。
新高も愛宕も、昭和2年に当時神奈川県二宮町にあった神奈川県農事試験場(現農業総合研究所)で育成された。同じとき「菊水(きくすい)」「八雲(やくも)」も世に出ている。
こちらは最近はあまりみかけないが、現在の主品種「幸水(こうすい)」「豊水(ほうすい)」の交配親になった往年の名品種である。
ところでこれらの品種はいずれも、かつて同試験場長だった菊池秋雄(きくち あきお)によって育成された。菊池は育成後半は鳥取高等農業学校に移っていたが、嘱託として二宮に通い、
後任の富樫治之(とがし はるゆき)技師とともに品種改良に当たった。
こんな逸話が残されている。大正12年の関東大震災のときのこと。菊池はたまたま調査のため二宮に滞在していて、倒壊した庁舎の下敷きになってしまった。
幸い机の下に潜り込み難を逃れたが、これによって彼の研究者魂が揺らぐことはなかった。むしろ災害を奇貨とし、その後1カ月も温室に泊まり込み、調査を続行したという。
消息不明の彼を心配して、鳥取から救援者が駆けつけたというのにである。新高も菊水も、こうした菊池のがんばりがつくり上げたのだろう。
菊池がナシの品種改良に興味を持つようになったのは、大正3年。大学を出たばかりの彼は、たまたま審査員になった品評会で「二十世紀」に出会い感動した。
当時は二十世紀は世に出たばかり、甘さといい、あじわいといい、他の追従を許さなかった。ただし黒斑病にめっぽう弱い。<ならば耐病性にすぐれたおいしいナシをつくってみよう>
ここからナシの品種改良に打ち込むことになった。彼が育成したナシ品種は、命名されたものだけでも三十数品種に及ぶ。
鳥取高農教授の後、菊池は京都帝国大学園芸学教室の初代教授に就任する。ここでも多くの人材を育てるかたわらナシの研究に打ち込み、遺伝学・栽培生理などの広い分野で数々のすぐれた業績を残している。
一方で、菊池は農家のナシづくり現場にも足を運んでいる。鳥取在任中から熱心に農家を廻り、二十世紀ナシの振興に大きく貢献した。ときには農家に泊まり込み、
酒を酌(く)み交わしながら相談に応じることもあった。
昭和18年に京都大学を退官するが、その後も園芸学の大御所として活躍した。植物採集が趣味で、高山植物を求め山歩きを楽しんでいたそうだが、昭和26年に亡くなった。
平成9年現在、新高の結果樹面積は1,230ヘクタール、愛宕は110ヘクタール。残念ながら菊水・八雲は100ヘクタールを割ってしまった。だが菊池が育成した品種の血を引く品種の総計ともなれば、
今や全栽培面積の8割に達する。
東海道線二宮駅から北へ5分、今は生涯教育センターが建つ試験場跡地に、菊水・新高の原木が保存されている。11月下旬に訪れたときには、果実はさすがに収穫ずみだったが、
色づいた葉がまだ残っていた。10アール余りの園地は県の天然記念物に指定され、管理が行き届いていたのがうれしかった。
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