うどんは奈良時代に中国から伝来した日本古来の食品だが、最近は原料の多くをオーストラリア産コムギASWに頼っている。選択的拡大の時代、枠外に置かれた国産コムギ(内麦)が激減し、
安楽死といわれて以降、ASWが内需を満たすようになったためである。
もっとも内麦がうどんに使われなくなった原因のすべてを、安楽死に求めるのは正しくない。昭和50年代になって、ふたたびコムギ作が奨励されるようになったが、
内麦の失地回復はならなかった。
ASWでつくったうどんは、公平にみておいしい。表面が白く滑らかで、粘弾性に富み、食感もよい。その上、製粉歩留まりも高い。だがそのために、農家が苦労してつくった内麦が売れないとあっては一大事だ。
<ASWに対抗できるコムギ品種の育成>を求める声は全国にわき起こったが、とりわけ主産地の北海道の農家の声は切実だった。
尾関幸男(おぜき さちお)が北見農試(訓子府町)で、めん用コムギの品種改良に着手したのは、ちょうどこのころである。麦作地帯の中心に位置する同農試は、それまでパン用コムギの育種を受けもっていたが、
こうした情勢の変化で目標をめん用に転換する。研究を支援して、道内の農家も1俵当たり50円を拠出、2億円の温室・実験室を寄贈してくれたという。
「チホクコムギ」の麦秋は7月末から8月にかけてになる 【絵:後藤 泱子】
(※絵をクリックすると大きな画像がご覧いただけます。)
|
めん用コムギの育成に当たり、尾関たちがとくに重視したのは、日本人なら誰でも好む餅の食感、いわゆるモチモチ性の導入だった。
さっそくモチモチ性をもつ本州の品種を選び、交配がくり返された。品種改良の最大のポイントは選抜にある。雑種後代から、モチモチ系統を選び出すことだが、ここでハタと行きづまった。
じつは当時、評価方法の明確なものがなく、試験場には育種用製めん機も整備されていなかった。
だがこの難問も、製粉会社の協力が得られたことで突破できた。買い手自身がうどん向け品種を選んでくれたのである。これほど確かなことはない。
昭和56年、産民の力強い支援を受けたうどん用新品種「チホクコムギ」が誕生した。
チホクコムギでつくったうどんは表面が滑らかで、粘弾性にも富み、食感がよい。色だけはくすんで見劣りがするが、モチモチ感やおいしさはASWに匹敵した。
内麦の評価を一変させた高品質品種の登場であった。
この品種はまた、短強稈で葉が直立、受光態勢がよいため、多収でもあった。ただし耐病性・耐雪性など難も多い。「こんな欠点の多い品種を」と危ぶむ声もあったが、
そこは農家と普及機関の熱意がカバーした。雪ぐされ病を防ぐ早期播種や赤かび病対策の適期防除を確実に励行したのである。おかげで北海道のコムギ単収は急増し、
10アール当たり400キロ以上をつねに確保できるようになった。
チホクの名は池田‐北見間を走る旧池北線にちなむ。沿線域での普及を願ったものだが、どうして全道に広く普及した。最近は影をひそめたが、
ピークの平成4年には8.6万ヘクタール(全国1位)、道内での作付け比率は78%(全国41%)にまで達している。
尾関は北見における16年の育種生活を終え、現在は上川郡東川町で退職後の生活を楽しんでいる。
|