今年はどうやら無事に過ぎたようだが、昭和55年の大冷害で、東北地方の稲作は作況指数が78にまで落ち込んでしまった。6月末から8月にかけて毎日のようにヤマセ(偏東風)が吹き込んだため、
ちょうど穂ばらみ期の稲に障害不稔(ふねん)が多発したためである。
宮城県古川農業試験場の旧庁舎。 「ササニシキ」「ひとめぼれ」はここで誕生した 【絵:後藤 泱子】
(※絵をクリックすると大きな画像がご覧いただけます。)
|
冷害は、はかり知れぬ苦しみを農家に強いるが、冷害回避に心血を注いできた研究者にとっても大変ショックな出来事である。宮城県古川農業試験場の佐々木武彦(ささき たけひこ)も、
その一人であった。耐冷性がとくにすぐれ、食味もまた最高級の水稲品種「ひとめぼれ」は、この時の彼の<いたたまれなさ>がつくり上げたといってよいだろう。
いたたまれない思いで、村々の青立ち稲を見てまわっていた佐々木は、意外な事実に気がつく。耐冷性をほとんど意識しないで育成された関東以西の品種に、
東北の品種より格段と障害不稔に強い品種がみつかったのである。とくに「コシヒカリ」とその近縁系統の被害が少なかった。どうやらこれまでの耐冷性評価には問題があるようだ。
佐々木の品種づくりは耐冷性の総点検からはじめられた。
実はそれまでの耐冷性は、冷水かけ流し圃場での稲の被害状況で決められていた。だがこの場合の水深は5〜6センチで、低温の効果が十分にゆきわたらないきらいがある。
佐々木はそこで、水深20センチ以上の冷水を循環させる「恒温深水圃場」を考案した。圃場内の水温を19度に保ち、育成中の幼穂を直接冷やすことで、
冷害耐性を正確に知ることができるようにしたのである。この方法で国内の約500品種の耐冷性を総点検したところ、やはりコシヒカリとその近縁系統が<ごく強>であることが確認された。
おいしさナンバーワンのコシヒカリが耐冷性でも<ごく強>であるなら、それまで困難視されていた耐冷性と良食味を兼備するスーパー品種の育成も夢ではない。東北の育種研究者にとって、
これは大変な朗報であった。
昭和57年、佐々木は交配に着手する。交配親には、恒温深水圃場でともに最高の評価を得たコシヒカリと、その子品種「初星」が選定された。
東北ではコシヒカリは極晩生で、しかも倒れやすい。コシヒカリの良食味に、初星の早生・短稈の特性を追加しようというのが、品種改良のねらいだった。
もちろん後代の系統選抜も恒温深水圃場が利用され、耐冷性と良食味に力点を置いて行われた。
ひとめぼれが世に出たのは平成3年、東北農民待望の耐冷・良食味兼備の大物品種の誕生であった。もっとも、ひとめぼれが真価を発揮したのは、それから3年目の平成5年大冷害の年からである。
この年の冷害は昭和55年をさらに上回るもので、当時の主力品種「ササニシキ」は壊滅的な被害を受けたが、ひとめぼれは被害が軽微であった。
以後、爆発的に普及面積を伸ばしていく。昭和55年冷害がひとめぼれの生みの親なら、平成5年冷害は育ての親といってよいだろう。
平成13年度のひとめぼれ作付面積は15万ヘクタール、コシヒカリについで2位を占める。佐々木は試験場を退職、現在は仙台市で家庭菜園を楽しんでいる。
|