【絵:後藤 泱子】
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今年はそれほど心配なさそうだが、稲作の大敵はなんといっても、いもち病だろう。そのいもち病防除剤として、現在我が国水稲栽培面積のほぼ25%で使用されている「オリゼメート」の開発物語について述べてみよう。
オリゼメートは昭和49年(1974)、当時農薬生産に参入して日の浅かった明治製菓によって開発された。従来の薬剤のような殺菌剤でなく、稲の抵抗性を高めて病害を防ぐという、画期的新農薬の誕生だった。
「オリゼメートの開発には三つのブレークスルー(難関突破)がありました」とは、開発にたずさわった岩田道顕さんの言である。
第1のブレークスルーは、もちろん有効成分プロベナゾールの発見だった。ちょうどカスガマイシンなど抗生物質農薬が世に出た時期のことである。明治製菓のねらいも、当初は抗生物質の探索にあったようだが、
そのねらいは思わぬ方向に転換された。
ふつう抗生物質は安定性を高め、薬害を軽減するために、「塩」の形で利用される。明治製菓でも、塩の形で幼苗試験を重ねていたが、
ここでひとりの研究者が貴重な発見をした。かんじんな抗生物質より、これと結合させた〈ある塩〉の方に、より高い防除効果が認められたのである。ここから、この塩の類縁物質が合成され、
より高い防除効果を示す物質の探索が進められていった。プロベナゾールはその最終ターゲットだったのである。
第2のブレークスルーは〈水面施用〉という新施用法の発見だった。ちょうどこのころ、農薬を施用した稲ワラの堆肥が、後作の野菜に奇形を生じさせるという事件があった。明治製菓でもこれを懸念し、
薬剤の土壌残存が後作物におよぼす影響について調査した。さいわい薬害の心配はなかったが、ここでこの薬剤を吸収した稲が高いいもち病抵抗性を示すことが観察された。田面水溶解→根から吸収という粒剤型薬剤の開発が進められるようになったのは、
このときからである。
第3のブレークスルーは、開発の最終段階にあった。この薬剤が〈現場に強いこと〉の再発見である。昭和49年(1974)はいもち病が多発した年だが、オリゼメートの現地展示圃では、いもちの発生がきわだって少なかった。
じつはこのころ石油ショックの影響で、製造原価が高騰、社内には撤退の声もあったのだが、営業担当者の熱意が、これを押し切っていった。研究所内のポット試験以上に、広い水田で卓効を示すのが、
この薬剤の特長なのだろう。
オリゼメートを吸った稲では、病菌は組織内に侵入できないか、侵入しても菌糸が伸びない。薬効が持続するので、育苗箱散布に適する。またイネ白葉枯病、キュウリ斑点細菌病をはじめ多くの病害にも有効である。
病害防除剤として販売量第1位の実績は、このあたりからきているのだろう。
オリゼメート開発の経緯を追ってみて、とくに気がつくのは、研究者から営業担当者に至る担当者たちの〈稲に学ぶ〉姿勢のみごとさである。この姿勢が、世界にも例をみないこの新農薬を完成させたのだろう。
3つのブレークスルーから生まれたオリゼメートだが、この研究から研究者たちは新たな手がかりをつかもうとしている。植物自身の抵抗性を誘導するメカニズムを解明できれば、
品種育成など将来の農業技術に大きな変革をもたらすことが期待されるからだ。第4のブレークスルーも夢ではないかもしれない。
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