
30年以上も前の話だが、ぼくは近藤典生教授の率いるマダガスカル動植物調査隊に参加し、この巨島を駆けめぐった経験を持つ。島の東海岸には脊梁山脈が走り、インド洋モンスーンのもたらす雨が豊かな森林を育てている。一方、その西側からモザンビーク海峡にかけては乾燥した大草原が広がり、ここには多肉食物に代表される特異な生物相が形成されている。そして、ぼくたちはその東海岸の森林地帯ではじめて野生の旅人木の大群落を見た(写真)。さすがにみんなその名の由来を知っていて、喜んで扇のカナメにナタを打ち込んだところ、期待を裏切らず蛇口をひねったように大量の水が吹き出した。渓流の生水は敬遠したが、この水は争って飲んだ。 しかし、この水は葉柄に構造的に溜まった雨水で、腐敗したりボウフラの発生源になったりしている汚い水であることを後で知った。しかも、この木の自生地は森林地帯の渓流のほとりである。事実は、この水で潤った旅人などいないに違いない。 それでも「旅人木」という名にはロマンがある。“伝承”が“科学”で否定されたり追認されたりすることは、とりわけ農業研究の世界では日常的だが、あまり詮索したくない伝承もある。旅人木の水は、そのとき目に鮮烈で本当においしかったのである。 [研究ジャーナル,22巻・4号(1999)] |
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