ぼくがまだ小さかったころの昔の話。友達と二人で神田川に魚採りに行き、土手の茂みで大きなアシナガバチの巣を見つけた。そして、ぼくは友達が止めるのも聞かず、
網の柄で巣を叩き落として一目散に逃げた。結局、川の中にいて逃げ遅れた友達が頭をしたたかに刺された。彼は安全地帯まで逃げてきて、
はじめて頭を抱えて「早くオシッコかけてくれー!」と泣き叫んだ。原因を作ったぼくは申しわけなく、すぐに要望に応えようとしたが、
友達の頭を前にしてどうしても小便が出ない。二人の泣き声が暮れなずむ武蔵野に響き、カラスがバカにしたように鳴いた。
昔はたいていの家庭にアンモニア水が常備されていた。酸の中和力を利用した虫刺されの唯一の家庭薬で、ハチに刺された痛さとともに、鼻を刺す特有の臭いを記録されている方も多いであろう。 一方、アンモニアの登場以前から虫刺されに小便を塗る民間療法も各地にあった。伝承的に小便のアンモニアが利用されていたのである。 あれから60年、この時の友達がその習わしを知っていたのかどうか、彼の名前も失念した今では確かめるすべもない。この年月はまた、別の原因で小便の出が悪くなってきた年月でもある。 なお近年は、ハチ毒の化学成分も種類別に解明が進み、すでにタンパク質など多様な物質が知られている。しかし、残念ながらそれらの中にアンモニアが効くとおぼしき物質はひとつもない。 小便を含む古来からのアンモニア効果は、信じたことによる気分的な効果に過ぎなかったようである。 [研究ジャーナル,22巻・5号(1999)] |
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