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白族の少女と筆者
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ぼくは今年(1998)の春、中国は雲南省の西北の奥座敷、大高原地帯にある大理市を訪れる機会を持った。ここは大理石の発祥の地として知られるが、
眼前に巨大な湖“?海”と4千m級の蒼山連峰が連なり、中国のスイスにもたとえられている美しい古都でもある。少数民族「白族」の自治州として、
街には眼に鮮やかな民族衣装があふれ、その図柄の多くも、白族が幸福のシンボルにしているチョウの翅の模様をモチーフにしたものというから嬉しい。
ただ、大理市は人口64万を数える大都市ながら、秘境の面影も濃い。たとえば、ガイドに聞いた話……昨年、中国の4人の学生が冬の蒼山連峰のアタックを試み、
行方不明になった。捜索隊によって谷底に転落した重傷のひとりが救出されたが、それで残りの学生の運命がわかった。なんと、トラに食われたという。
さて、この市のはずれには明時代の南北の城門にはさまれた旧市街地があり、史跡のひとつになっているが、そこのタバコ売りの露店で思いがけないものを見た。
箱に入れた4齢とおぼしい一群のカイコである。しばらく見ていたら、小箱を手にしたかわいい少女がやって来て、小ゼニで1元(約16円)を払い、
露店のおやじがカイコを慎重に10匹数えて小箱に移した。このあたりに養蚕地帯はない。通訳を通じて少女に「そのカイコをどうするのか」と尋ねたところ、
「繭を作らせたりガを出したりして楽しむの」という。それはぼくにとって(ぼくだけかもしれないが)、まるで少年時代にタイムスリップしたかのように衝撃的で、
かつ感動的な返事であった。
永く日本経済の中枢を担い、二重の敬語で呼ばれた“おカイコさま”も、いまや昔日の面影はない。おそらく、大半の日本人にとっては、
見たこともないただのイモムシに過ぎまい。中国にはかつての日本のような昆虫少年少女はこれまで存在しなかった。しかし、日本でのその急速な消滅に代わって、
ひそかにそれは中国で継承されるかもしれない。カイコを売る露店があり、自分の小遣いでそれをペットとして求める少女が、はるかなる秘境に現実にいたのだから……。
[インセクタリゥム,35巻・8号(1998)]
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