動物の数を表す呼称として、匹と頭と羽の三つの語がある。いろいろな辞典からその意味を要約すると次のようになる。
つまり、匹というのは動物全般をカバーする語で、頭はそのうちの大型獣、羽は鳥とウサギに対して、匹の代わりによく用いられ、いずれも古い歴史を持つ呼称といえよう。 また、ウサギに羽を用いるのは、獣肉を食べる都合上、ウサギを鳥に擬したものであり、羽はむしろ鳥の専用語といってもよいであろう。
ところがここで、言語学者にも一般にも認知されていない特殊な用法がひとつある。昆虫に対する“頭”の適用がそれである。この小文の表題は、 一般的に奇異に思う人が多いが、昆虫の関係者の中では、専門研究者もアマチュアも、おしなべてきわめて常識的に使われているのである。 ためしに昆虫関係の学会誌や図書を開いてみるとすぐにわかる。もちろん人によっては匹を用い、学会でもこの区別は著者まかせで現在何のきまりも作られていない。 が、昆虫を“匹”と書けば、何となく論文が幼稚になるというふしぎな感情がこの世界に支配的に流布し、ぼく自身にもこの意識がある。 本来、大型獣に用いられている“頭”がなぜうって変わって小さい昆虫に、それも何の抵抗もなく使用されているのか。虫屋だけに通じるこの特殊な数の呼称が、 いつごろだれによって用いられ、どのようなプロセスでこの仲間うちに普及して行ったのか。ぼくはこのことについて少なからず好奇心を刺激されている。 そこで博物関係の書誌学者である畏友 小西正泰氏にその調査を依頼してあるが、氏の万巻の蔵書をもってしても、この解明は難航しているようである。 今、はっきりしていることは、少なくとも江戸時代に昆虫を“頭”とした事例は全くなく、その登場は明治中期以降(たとえば明治30年代の専門雑誌「昆虫世界」など)らしいということだけである。 ぼくはいずれこのことに決着をつけるつもりでいるが、「何とヒマな」と言われるのもいやでなやんでいる。いずれにしても、 事の経緯がわかったところでこれだけ習慣が固定しては“頭派”を改宗させることはむずかしいかも知れない。 虫屋の世界で育ったぼくは、“匹”にも抵抗があるが「1匹のクマに5頭のノミ」という記述にも抵抗がある。そこでぼく自身は、 論文の中での昆虫の数の呼称には「個体」という語を使うことにしている。「5個体」「個体数5」……たいへん学術的で、すっきりしていると信じている。 [研究ジャーナル,3巻・8号(1980)] |
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