最近アフリカで大発生したトビバッタは、そのなりゆきが世界的に注目されているが、かつては日本でも、この仲間のダイミョウバッタがしばしば大発生を起こしている。
とくに明治13年(1880)、北海道でのそれは「天為(ため)に暗く」と記録され、バッタの進路を変えるため、時の屯田兵が大砲を撃ったというほどの騒ぎであった。
その後、開発が進み、バッタをはぐくむ大草原がなくなったことで、今では、アフリカの惨状が日本で再現される可能性は薄れている。それでも、離島などの限定された場所となると話は別である。
1986年秋、種子島北西にある無人の馬毛島で、大発生中のトノサマバッタが発見され、調査の結果、この大群は数千万匹と推定された。10年来の無人化や、 数年前の山火事がススキを繁茂させ、これをエサに、気象条件などとあいまって大発生をもたらしたらしい。また、このときのバッタの体形も、 高密度時に特有の“群生相”と呼ばれる移動型に変わっていることもわかった。 突然現れた馬毛島のバッタの大群は、その翌年、思いもよらず、カビによる流行病のために、ふたたび劇的に姿を消した。あわせて、この世界的害虫の大発生機構を、 日本で研究する絶好のチャンスも去った。調査に参加したぼくの友人の残念そうな顔を残して。 [朝日新聞夕刊「変わる虫たち」,(1989.4.4)] |
もくじ 前 へ 次 へ