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木の葉のキャンバス

街角で

 いつか東京の盛り場で人だかりがしていた。ぼくは、いつものように人をかき分けてのぞき込んだ。たまげたことに、そこでは、フンドシひとつの若い男が、 自分のからだに絵の具をぬりたくり、大きな白布の上をのたうちまわっていた。前衛絵画の創作中とのことであった。ぼくにもできる−−と思ったことはさておいて、 もし、これが芸術であるならば、虫にだって前衛画家はいる。

エカキムシ

 ミカン若葉を食害するエカキムシという害虫がある。幼虫が葉の中にもぐり込んで、くねくね曲がった孔道を掘りながら葉肉を食べて成長する。 食痕は表皮を残して白くすけて見える。それがちょうど葉面に絵を画いたように見えるのでエカキムシ(正しくはミカンハモグリガ)と呼ばれている。

 木や草の葉に絵を画く虫はほかにもたくさんあり、これを総称してハモグリ類、または潜葉性昆虫と呼んでいる。主としてガや甲虫やハエの仲間に多くの例が見られるが、 なんといってもあのうすい葉にもぐり込むので、そのからだは小さく、一般に偏平なからだつきをしている点が特徴的である。

エカキムシ

食痕のいろいろ

ハモグリバエ
 さて、ハモグリ類の中には幼虫の一時期だけ葉にもぐり、あとは葉上に出てしまい、貧弱な食痕しか残さない種類もある。また、ある種のハエの幼虫などは集団で葉肉を食い、 まるで綿を抜いた座ぶとんのようにきたない葉にしてしまうが、全幼虫期を葉内で過ごす多くの種類の中には、芸術的とすらいえる食痕を残すものも少なくない。 そのような食痕は一方が細く、だんだん先太りになっている。食べ進みながら幼虫が成長していった証拠である。太い方のはしを陽にすかしてみると、 幼虫やさなぎがすけて見える。なにもいないときは、無事に成虫が羽化脱出したことを示している。

 ハモグリ類は、種類によってその寄生植物がだいたいきまっていて、何百種類もの植物にまたがるようなものはめったに見当たらない。たいていの植物は押葉にしても食痕がはっきり残るので、 その気があれば面白いコレクションができるだろう。

なぜ?

 葉にもぐるという特異な性質が成立した経緯については、地史的な時間をさかのぼらなければわからない。ぼくのタイムマシンはまだ試作の段階で、 残念ながらこれに明快な解答を出すことはできない。しかし、近年、果樹害虫としていろいろなハモグリ類(主としてガの仲間)が増加傾向にあり、 今や大害虫となっているナシのナシチビガやリンゴのキンモンホソガなども、問題になりはじめたのは比較的近年のことである。このため、 その生態研究も活発になりつつあり、一部の種類では、幼虫期の初期死亡率が一般の昆虫に比べてかなり低いことがわかっている。少なくとも葉にもぐるという性質は、 天敵の攻撃に対する防衛に相応の役をになっていることはたしかなようである。また、一枚の葉に複数の幼虫がもぐり込んだ場合、おたがいの孔道はめったに交わらない。 なにを手がかりに相手の存在を認知しているのかはわからないが、このようなともだおれの防止機構も見事というほかはない。

 ハモグリ類は葉上の絵によってだいたいの種類がわかる。高名な画家の作品のように。

[みのりの仲間,No.4(1977)]



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