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タイトル:ウイスキーを広めた虫

 ぼくは酒がなければ人生が多少マシになったのではと思えるほど酒好きである。ずいぶん怪しげな酒も飲んできたが、二日酔いの反省はウイスキーが一番多かったように思う。 もっとも好みはスコッチで、若者に人気のバーボンは嫌いでまったく飲めないが……。

 スコッチウイスキーの歴史は千年以上に及ぶというが、百年ちょっと前まではスコットランドの無名の地酒に過ぎなかった。当時、ヨーロッパの貴族社会で酒といえばブランデーを指した。 ブランデーは14世紀の初頭に、錬金技師によってワインを蒸留して偶然発明されたが、秘薬として製法が封印され、約百年の時を経てようやく普及していった。 ウイスキーは歴史こそ古いが、デビューは大きく遅れ、しかも普及はある虫の間接的な助力によるものであった。

ブドウべと病
ブドウべと病

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ブドウネアブラムシ有翅雌成虫と産卵中の無翅雌成虫 ブドウネアブラムシによるブドウの根の虫コブ被害
ブドウネアブラムシ有翅雌成虫と産卵中の無翅雌成虫
(カムストック、1924)
ブドウネアブラムシによるブドウの根の虫コブ被害(同)

 つまり、(1)19世紀の中頃、ブドウのうどんこ病対策のため、フランスがアメリカから抵抗性苗木を輸入し、(2)それが媒体となって新大陸からフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)が侵入した。 (3)この害虫はたちまちヨーロッパ全域にまん延し、ブドウに空前の被害を与えるようになった。(4)とくにフランスでは、1875年には8万キロリットル以上あったワインの生産量が、 たった4年間で3分の1以下までに激減した。(5)ブランデーが飲めなくなった酒飲みは、仕方なくウイスキーに手を出した。(6)これが”飲まず嫌い”であったことがわかり、 ウイスキーは世界を席巻して行った。(7)ついでにフィロキセラの母国アメリカでも、西部開拓者がトウモロコシから開発し、酒税に追われて移住したケンタッキー州バーボンの名を冠したウイスキーまでメジャーへの道を歩きはじめた。

 なお、フィロキセラに仰天したフランスは、ヨーロッパ各国との間にまん延防止の条約を締結し、これが国際植物防疫条約の元となった。この害虫はやがて日本を含む世界のブドウ栽培地を危機に追い込んだが、 アメリカで発見された耐虫性台木の普及が救世主となった。ところが今度は、その台木が媒体となってブドウのべと病がフランスに侵入して全土に広がってしまった。 そして、その対策として殺菌剤の革命といわれるボルドー液が生まれた。もっともその開発は、ボルドー地方のある農家がブドウの盗難防止に、 石灰と硫酸銅を混ぜて樹を不気味に着色したところ、その園だけべと病が発生しなかったことが端緒になったと伝えられる。

 小さい虫とヒトとが織りなす因果の一席、今回はここまで。

[研究ジャーナル,24巻・3号(2001)]



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