庭師の世界には「隅の親石」というものがあるということを、昔ものの本で読んだことがある。いまやすでに死語になっているかも知れないが、
それは庭の隅に置かれた一見目立たない石だという。しかし、それこそが庭の景観を引き締めるカナメ石で、取り除くと庭の全体の構成が崩れるのだそうである。
なんだかちょっといい話だなとおもった。 どんな組織にも「隅の親石」のような人材はいる。ただ、回りも本人もそれと気づかず、その人が失われてはじめてその存在の大きさがわかるような人である。 そこで、みんながひそかに「我こそは隅の親石」と信ずれば、ずいぶん組織が明るくなるのではなかろうか。たとえ職を去ったとき、だれも困らず、 やっぱり「隅の親石」ではなかったことがわかったとしても、それはそれ、本人の゛思い得”でだれも損する者はいないではないか。上も下も、 尊大な人だらけになるリスクが多少あるとしても……。 [研究ジャーナル,24巻・10号(2001)] |
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