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ある勘違い


 人が自分に示したちょっとした行動の意味が分からず、あとあとまで気になることがある。

 西ケ原からつくばに移転して間もない旧農業技術研究所で、ぼくが昆虫科長の職にあった昭和56年(1981)の夏、 中国から作物保護関連の研究と行政関係者による10人ほどの考察(視察)団が来所したことがある。考察団の希望で中国でもよく知られている昆虫生態学者のK室長の研究室にまず案内した。 室長は不在だったがすぐ戻るとのことで、小さな会議机を囲んで座って待っこととなった。椅子は視察団とぼくでちょうど満杯であった。

 いささかバツが悪かったのは、当時、某酒造会社が毎年発行していた等身大のヌードカレンダーが研究室の壁一面に貼ってあったことである。 当時の中国は文革が終わって数年を経過していたが、まだこうしたものの頒布や公開は禁止されていた。「こんなものが貼ってあってお恥ずかしい」と謝ると、 通訳を介して「なんのなんのお気に召さるな」との返事であった。

 間もなく室長が戻り、ぼくは席を譲るために椅子から立った。そのとき、ぼくの両脇に座っていた団長と通訳も突然立ちあがり、ぼくの肩を押さえつけ、 無理やりに着席させた。ぼくが立つのをなぜ力ずくで阻止したのか? その理由が皆目分からなかった。そして、1年後に偶然真相を知ることになる。

 翌年の夏、中国で壮大な実験をしていた長距離移動性害虫の研究視察のため、わずか3名のメンバーながら今度はぼくが団長となって訪中する機会を持った。 そのとき、北京での関係者による歓迎レセプションの席上、前年の訪日考察団の団長が、歓迎のあいさつの終わりに次のようなエピソードを披露した。 「私は今回訪中された梅谷先生にはつきせぬ思い出があります。昨年訪日したとき、研究室に貼ってあった大きなヌードのポスターを、 われわれのために先生は自ら立って剥そうとされた」。

 そうだったのか! いまさらそれは誤解だとは言えないではないか。続く答礼の挨拶の冒頭でぼくはこう述べた。 「そんな些細なことを記憶にとどめて下さり恐縮に耐えません」。

[研究ジャーナル,26巻・7号(2003)]


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