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環境保全型農業が育てた黄色防蛾灯、
時空を超えた研究者たちのリレー


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【絵:後藤 泱子】

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 このところ夜の果樹園やハウスで、(あや)しく光る黄色い光が目につくようになった。ヤガなど夜行性害虫を防除する黄色蛍光灯の光だが、 最近は環境保全型農業のホープとして脚光を浴びている。  
 
 果樹や果菜農家なら、誰でも一度は悔しい思いをしたことがあるだろう。せっかく実った収穫直前の果実が、一夜にして傷ものにされてしまう。犯人はヤガやカメムシなのだが、この虫の幼虫は山林など耕地外で育つものが多く、 防除がむずかしい。昔は袋かけ・網かけしか対策がなかった。黄色蛍光灯はこのピンチに登場した助っ人といってよいだろう。  
 
 黄色蛍光灯の防虫効果は昭和40年(1965年)、千葉大学野村健一(のむらけんいち)によって発見された。ヤガ類の複眼は夜の暗さに向くようにできていて、 明るい昼には活動がにぶる。「明・暗適応」というこの現象に着目した野村は、各種光源をテストして、黄色がもっとも効果的で、農作物の被害軽減に役立つことを明らかにした。選択的拡大で果樹園が急増し、 害虫対策が緊要だった時代のことであった。  
 
 だが、このすばらしい研究も、日の目をみるには10年以上を要した。昭和53年(1978)に、鳥取県園芸試験場の内田正人(うちだまさと)が、ナシ園などで害虫の飛来阻止に顕著な効果があることを実証する。 「防ガ灯」実用化の第1歩といってよいだろう。  
 
 内田の研究によって、防除効果を示す照度は1ルックス以上、10アール当たり40ワット黄色灯7灯(棚上2、棚下5)で十分であることが明らかになった。7月下旬から9月いっぱい、日没から日出直前まで点灯するのだが、 経済的にも十分ペイするという。彼の研究が契機となって、今では鳥取県を中心に全国270ヘクタールの果樹園に黄色灯が灯っている。  
 
 一方、黄色灯が花き栽培や野菜作で普及するまでには、さらに10年を要した。もちろん黄色灯に着目した研究者が、ほかにいなかったわけではない。だがこの技術を広く普及させたのは、 当時兵庫県淡路農業技術センターにいた八瀬順也(やせじゅんや)といってよいだろう。  
 
 八瀬が黄色灯に本格的に取り組んだのは平成6年(1994)、ちょうど西日本一帯にオオタバコガが大発生した年であった。カーネーションの大産地淡路島でも、この虫の被害は甚大だった。始末の悪いのは、 この虫の幼虫が蕾に潜り込み、農薬が効かないことである。そこで八瀬は黄色灯を利用し、みごと被害を軽減することに成功した。2年後には全島の施設栽培に黄色灯が灯ったというから、 その効果がいかに農家を惹きつけたか、知ることができよう。最近は露地栽培でも普及している。  
 
 黄色灯による害虫防除は、減農薬栽培の広がりとともに今も伸びている。もちろん虫を直接殺すわけではないが、夜行性害虫の行動制御や産卵抑制に効果がある。最近は照明器具の改良も進んでいる。 対象害虫はハスモンヨトウ・アワノメイガなど多岐にわたる。対象作物もリンゴ・ブドウ・カキなどの果樹類、トマト・キュウリ・青ジソ・スィートコーン・バラなどなどの野菜・花が含まれる。 ただし作物によっては、花芽形成や開花に影響があるので、注意を要する。  
 
 ちなみに、鳥取の名産「二十世紀」ナシは千葉県松戸市が発祥の地。この松戸にある千葉大学で生まれた黄色灯が、ふたたび鳥取で花開いたのは、なにかの縁だろう。  
 
続日本の「農」を拓いた先人たち(56) 防除の要に生長した黄色防蛾灯、研究者たちのリレーで技術確立 『農業共済新聞』2004年3月2週号(2004).より転載  (西尾 敏彦)


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