五月とハエのものがたり−ウリミバエの根絶作戦と昆虫抗菌性タンパク質− |
五月は虫の活動がもっとも活発な月かもしれない。なにしろ「五月蠅い」と書いて、「うるさい」と読ませるぐらいだから。
そこで、そのハエの話から二題。 根絶作戦から生まれた共存の道最近は内地の八百屋さんでも、沖縄や奄美産のパパイヤやスイカを見かけるようになった。ほんの数年前までは、この地方から内地へのウリ類の移動は厳禁されていたものである。原因はウリミバエである。東南アジアなどに広く分布するこのハエは、ウリ科・ナス科など100種以上の植物を食害する大害虫だ。 その移動を防ぐため、どんなに美味しい果物でも、内地に持ち込めなかったのである。ウリミバエが日本から完全に姿を消したのは1993年である。 「不妊虫放飼法」が功を奏したおかげである。 「虫を殖やして、虫を滅ぼす」不妊虫放飼法は、アメリカのニップリング博士が考えた意表をつく防除法である。 人工増殖したハエの雄に放射線を当て、生殖機能を失わせ、この虫を大量かつ繰り返し野に放つ。放たれた不妊虫が野生の雌虫と交尾しても繁殖できない。 それだけ野生雄虫の交尾の機会は少なくなる。世代を追って虫は減り、ついに絶滅に至る。奇抜な発想から生まれた壮大な学説である。 ニップリングはこの学説を、アメリカ南部に蔓延していた家畜の大害虫ラセンウジバエに適用した。家畜の傷口から侵入し、遂に死に至らしめる恐い病気である。 20余年にわたる地道な研究の結果、予測は的中。今ではさしもの大害虫もアメリカ全域から姿を消してしまった。 ウリミバエに話をもどす。沖縄が本土に復帰した1972年に、不妊虫放飼でウリミバエを根絶させようという農林水産省のプロジェクトがスタートした。 大変なお金と人手のいる作戦である。当時これを断行した人々の勇気と粘り強くこれを推し進めた人々の努力には、ただ頭が下がるのみである。 作戦には、多くの分野の研究が必要である。不妊化するハエを常時大量に育てる技術、不妊化に適する放射線の照射技術、できた不妊虫を生かしたままで遠くまで運んで撒く技術、 ……等々。不妊ハエを放つためには、予め野外で飛び回っているハエの数を予察する技術も必要である。難しい一つ一つの問題の解決が、今日の成功に結びついていったのである。 農薬を使わず、特定の虫だけ減り、他に影響を及ぼさない不妊虫放飼法は今では各種の害虫に適用され、世界の各地で成果を上げている。 最近は、必要最少限の農薬や天敵などの生物農薬とも組み合わせた「総合防除」の研究が進められつつある。むやみに農薬をまくのではなく、 自然界の害虫の数を把握して、経済被害密度以下に押さえ込もうというのである。地球にやさしい究極の技術かもしれない。 |
不潔な虫の巧みな仕組み次はセンチニクバエの話。センチは〈せっちん〉の意味だそうだから、この虫の好みがわかろうというものである。だが、「不潔」などと軽蔑してはいけない。この虫の体を傷つけると、体液中にある種のたんぱく質ができる。東京大学の名取俊二教授らの研究によって、 この物質(ザルコトキシンと命名)に強力な抗菌作用があることがわかってきた。細菌の細胞膜に穴をあけ、殺してしまうのだそうだ。 ハエだって(ばい菌うようよ)の世界で生きるには、それなりの備えが必要だ。侵入した細菌は「抗菌性たんぱく質」で撃退するのである。 話は少し難しくなるが、もともと生物体は細菌などが侵入してきた時、これから身を守る「生体防御機構」をもっている。人間など脊椎動物では、 細菌(抗原)が侵入すると抗体が攻撃する、いわゆる「抗原抗体反応」の仕組みがある。 ところが、昆虫の生体防御の仕組みは、これと異なり、細菌が侵入すると抗菌性たんぱく質をつくるのである。しかも彼らは複数の抗菌性たんぱく質の生成能をもっていて、 相手によってこれを調合し、細菌に立ち向かっているらしい。 抗菌性たんぱく質は、ほんの20年ほど前に発見され、現在までに世界で50種以上が確認されている。いずれも短時間に生成され、各種細菌に非特異的に働き、 効果の幅が広く、一過性で2〜3日で消滅してしまう。短命な昆虫にとっては、なんにでもすぐ効くこの方法の方が好都合ということだろう。 泥んこ遊びの好きなわんぱく坊主をもつ家庭の「常備薬」のようなものだ。 |
この分野での日本の研究者の活躍はめざましい。最近、蚕糸・昆虫農業技術研究所の山川稔さんと「シキボウ」のグループが、タイワンカブトムシの幼虫から3種の抗菌性たんぱく質を見出した。
日本では沖縄県だけに生息し、家畜糞尿や堆肥を食べて生活する、やはり不潔な虫である。 3種の抗菌性たんぱく質のうち、ライナサラシンは食肉細菌と恐れられている溶血連鎖菌に効くらしい。オリクチンは院内感染の原因として問題になっている抗生物質耐性のMRSA (メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)に効くことが期待されている。 抗菌性たんぱく質は植物病原菌に対しても、強い殺菌効果が認められている。稲の白葉枯病、野菜の難腐病、腐敗病などに効くことが期待される。 将来はこれを人工的に改変することによって、より高度な農薬・医薬が開発されるだろう。研究の発展が楽しみである。 昆虫との新たなつきあいこの地球上に昆虫が出現して4億年、今や昆虫は180万種を越す最大の動物群である。センチどころか、極寒の北極圏でも灼熱の砂漠でも、 地球上の至るところで生きてきた。人類が進化の一方の頂点とすれば、昆虫はもう一方の頂点にある。このしたたかさに学ばない手はない。1993年に、ある民間調査機関が行なった調査によると、現在、養蚕・養蜂業などの昆虫関連産業が占めている市場規模は2600億円程度に過ぎない。 ところが2000年には8000億円、2030年には5兆円市場が見込まれるという。 これからの農業は虫との戦いだけではなくて、虫との共存、虫に学ぶ農業にもなることだろう。 |